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1983年7月発行 広報よみたん / 3頁

拓けゆく伸びゆくゆんたんじゃ カメラと散歩№6 緑と文化の香り高い街づくり 古堅区で区画整理事業

拓けゆく伸びゆくゆんたんじゃ カメラと散歩№6
緑と文化の香り高い街づくり 古堅区で区画整理事業
 ”緑と文化の香り高い街づくり”をめざし、古堅区で進められている、元部落の再興をめざす土地区画整理事業は、ことしで三年目を迎え、区民の夢は日増しに、その実現に向かって一歩一歩近づいていま
す。
 古堅区の区画整理事業は元部落跡を中心に、約三万七千坪を宅地・公園緑地・都市計画道路などに整備されます。なかでも宅地については、百五〇世帯分を区画し、二十一世紀をめざした緑と、文化の香り高い街づくりをめざしています。
 同事業は、昭和五六年度「幹線街路工事」を皮切りに、総額五億六千万円を投じて、昭和五九年度をもって工事竣工予定になっています。
 一帯は、戦後まもなく米軍用地に接収され、通称モーガンマナーという、嘉手納空軍基地に勤務する、米軍の宿舎に充てられていました。三十六年間の空虚のあと、昭和五十二年十一月末日に返還されたが、緑うるわしい戦前の部落跡は見る影もなく、無残に破壊されたなかで、わずかな立木を残すのみでした。
 集落の大部分を米軍用地に接収された古堅区民は、肩を寄せ合うように隣接の大湾に宅地を求め、借地住まいの生活を余儀なくされ、いまなお、六〇%余りは借地住まいだといわれます。それゆえに、元部落への帰還志向は日増しに高まるばかり。
 昭和五二年の返還後、読谷村の指導のもとで九十五名の地主が「古堅土地区画整理事業」を設立し、破壊しつくされた青郷の再興に、未来にロマンを求め”緑と文化の香り高い街づくり”をめざし、国や県に対し戦後処理の早期解決を訴えてきました。念願かなって古堅区の土地区画整理事業は、ことしで三年目を迎え、区民の夢は日増しに一歩一歩近づいています。

※写真は原本参照

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