そんちょう日記 №18 読谷村長山内徳信
今年の冬は例年より寒い日が多かった。
二月二十一日午後、トリイ通信隊へ、楚辺ビーチの件で交渉に行った。相手は在沖米陸軍施設担当KEYES大佐と外二人で、通訳官はファーナーさんである。
読谷村は、伊波議会議長池原議員、楚辺区の比嘉区長、会計の池原伝雄、池原昌繁、松田修等七名であった。
用件は「トリイ通信施設内ビーチ建設工事中止に関する要請」である。米軍は二年前の八二年八月に、基地内にある楚辺の海浜をビーチとして整備をした。その時、村からの問い合わせに対し、「楚辺区民をはじめ地元村民には共同で一緒に利用してもらう」、というのが米軍の回答であった。
ところが今年二月八日、トリイ通信所のカールソン隊長は、楚辺の区長に対し既設ビーチの拡張工事の計画を通告説明をしてきた。
楚辺区は二月十四日役員会を開催し、対処策を協議したのである。その結果にもとづいて、私達は米軍との交渉を進めることになった。
交渉の中で明らかになったことは、米軍は「治安と管理」上の問題をたてに、「米軍専用のビーチ」に、しかも在沖米陸軍の「階級の低い兵隊」の専用にする、と、正に、デモクラシーの国とは理解しがたい物騒なことをいう。
私達は、その場所が、戦前の楚辺の馬場であること一九五二年に楚辺区民が米軍によって強制的に移転させられたこと、地域の人々にとっては唯一のビーチであること、その他の理由で米軍の理解を求めるように努力をしたのである。
いずれにせよ、戦争が終って三十九年目、復帰して十二年目になります。復帰後、米軍人は減る一方であり、今頃になって、米軍専用のビーチを作るとは理解に苦しむものである。
私が読谷高校の一年生の時に、楚辺区民の立退きがあった。高校生もツルハシをかついで整地作業に行った記憶がある。あれから三十二年経過したというのに。
母なる海よ、母なる大地よ、母なる砂浜よ、母なるビーチよ、先祖から受け伝えられたビーチよ、そこを古里とする者に、恵みを与え給え。