読谷村史編集室 読谷村の出来事を調べる、読谷村広報データベース

1984年8月発行 広報よみたん / 4頁

ひらけゆく残波の里よみがえる宇座部落-旧ボーローポイント周辺復帰先地公共施設整備事業完了- 忘り難なさや宇座村 盛大に催された祝賀会

ひらけゆく残波の里よみがえる宇座部落-旧ボーローポイント周辺復帰先地公共施設整備事業完了-
忘り難なさや宇座村
 一九五五年五月
  新垣ウシ
  仲宗根ゼヨ
あきよ我が村や戦場になたさ
 思てくがりてん いちゃぬなゆが
ありや残波先 くりや宇座村
 我が生り島に 思い残ち
島や後なちょて 他所島に暮らち
 島向かてわんぬ涙流ち
戦世のなれや 思るままならん
 うまんちゅとともに暮らちいかな
もしか我が村にむどらりる時や
 村しんか揃て暮らす嬉しや
時期待てば何時かむどらりんしゅさ
 なびくなよしんか命どたから

 悲惨な沖縄戦が終って三十九年、旧宇座部落の復興という宇座区民の悲願がようやくかなえられようとしています。
 旧宇座部落は読谷の北側に位置し、西は魚介類の宝庫として人々の生活を支えてきた東支那海が開け、北には景勝の地、残波岬や、崎原の松林、そして緑豊な上の毛がありました。
 北に伊江島、眼下に慶良間の島々を見下す絶景の地に、東に座喜味城跡を拝し、南蛮貿易でにぎわう長浜港の後背地として、水と海の幸、肥沃な農地に恵まれて栄えた宇座部落も、沖縄戦で見る影もなく破壊され、区民は故郷を追われたのでした。
 戦後、避難先や、収容所から読谷への帰村が許されたにもかかわらず、宇座部落はボーローポイント射撃場として米軍に接収されており、区民にとって読谷への帰村がそのまま生れ島宇座への帰村とはなりませんでした。
 他部落に移り住むという生活を強いられながら望郷の念は消えることがなく、昭和五一年九月、ボーローポイント射撃場の返還と同時に旧宇座部落復興の念は一段と高まりました。
 昭和五五年、村は、宇座区民の要請を受け、旧宇座部落の復興の事業計画を進め、昭和五七年より旧ボーローポイント周辺復帰先地公共施設整備事業に着手しました。
 当初四ケ年計画で進められてきた事業ですが、区民の協力と、村、関係当局、工事関係者の努力により二ケ年早く、昭和五九年で事業完了の運びとなりました。
 四億六千万円にのぼる事業費をかけ、道路五、四八四・一メートル、排水路四三四メートル、水道四、九三一・九メートルが整備され、米軍接収から三九年、宇座区民の部落再興の悲願がようやくかなえられました。

盛大に催された祝賀会
 旧ボーローポイント周辺復帰先地公共施設整備事業の完了に伴い去る七月八日、復興された旧宇座部落で盛大な祝賀会が催されました。区民の心を表わすかのような、さわやかな快晴の中、区民・村・関係当局・工事関係者、多数が参加し、午後二時より開催され、区長山内徳雄氏があいさつに立ち、戦後三九年目にしてようやくかなえられた宇座部落の復興は区民の大きな喜びであり、二一世紀に向けて子や孫たちに夢を行えることができるものであると述べ、さらに、これまでの区民の協力や、村、関係当局、工事関係者の努力に感謝し、新生宇座の部落建設に今後とも区民が一致協力して邁進していかなければなりません、と述べました。
 その後、事業の経過報告が行われ、工事関係者へは感謝状が贈呈されました。また、村長・山内徳信、議会議長・伊波栄徳、防衛施設局局長代理・杉山哲也事業部長から祝辞をうけ、この事業は宇座部落の再建というだけでなく、戦後処理の大事業であり、大きな意義を持つものであるとして、区民と共に喜びをわかち合いました。
 三九年ぶりの生れ島で区民は”むかし宇座”を思い起し、これからの宇座の発展を夢に見て祝賀会は盛り上りました。

※写真「工事完了後の宇座部落」、「工事前」、「工事後」、「盛大に催された祝賀会」は原本参照

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