去る六月三日、村立資料館に喜名番所の木版画が寄贈されました。
寄贈された絵は、一八五三年、米国のペルリ提督が来沖した当時のもので同行した画家ウィリアム・ハイネの作によるものですが、喜名番所の様子や、ペルリ提督一行の他、歓迎している多くの村民も描かれています。
絵を寄贈していただいたのは、本村在のラブ・オーシュリー氏(読谷村大湾七六八番地-牧師)で、読谷に住んで十年以上になりますが、牧師として宣教されるかたわら琉球の古い文献や資料も収集、研究されており、今回の絵の寄贈の以前にも、同じハイネ作の「喜名番所」の石板画や琉球の古地図なども寄贈されています。
絵の寄贈についてオーシュリー氏は「一三三年前の今日六月三日だいたい午後二時半から四時頃にかけてペルリ提督一行が喜名番所を訪れた時、読谷村民から大変なもてなしを受けました。一三三年前のことと言っても私は私の同胞アメリカ人が受けた恩は忘れられません。この絵はハイネの描いた当時の数少い貴重な木版画です。二二〇年前の恩返しになればと思い、この日を記念して絵を贈ります。」と話し、又、「私は読谷にながく住んでいるし、妻も読谷の人です(波平出身)読谷のために役立てて大変うれしいです。」とも語っていました。
この木版画は、ハイネ自身がヨーロッパで出版したオランダ版の本の中に納められているものを複写拡大したものですが、オーシュリー氏は同じ絵をこの日、喜名区や、村教育委員会にも寄贈しました。
喜名番所での米国人探検(踏査グループ)
1853年6月3日(金)午後2:30~4:30
1855年ウィリアム・ハイネによる木版画より
「私たちが到着した時、少なくとも100人ほどの村人たちが近くに集まってきてハイネが銃で的を射っている間、非常な驚きで眺めていた…人々は2羽の鶏とたくさんの卵とキュウリを私たちのところに持ってきた。私たちは空腹で疲れていただけに、私たちの作った食事は最高においしかった。
午後4:30私たちは再び出発した。道は広くてよく踏みならされており、道の両側とも松の並木で陰になっていた。」
ベイヤード・テーラー 1853年
※写真は原本参照