読谷村史編集室 読谷村の出来事を調べる、読谷村広報データベース

1987年3月発行 広報よみたん / 7頁

三味線からおそわったこと 5年玉城真理子

 三味線をならって一ケ年半、いろいろな思い出がある。
 子供芸能祭、読谷まつり合宿、運動会、二十四時間TV-愛は地球を救うなど、いろいろなことに出演した。そして、いろいろなことを学んだ。
 けじめ、努力、マナー、三味線は、私にすごいことを教えてくれた。苦しくてやる気をなくし、三味線をやめようと思ったこともあった。一つの曲を覚えるのに、何度も何度もやる。それでもうまくできず、気持だけがあせってしまった。いくらひいてもこなすことができず、いらいらして、「三味線やめようかな」と思い、なげだそうとしたときです。
「もう一度がんばってごらん、きっとできるよ。」と三味線が、私に言いきかせているように心の底にひびいてきた。
 私はもう一度、スタートに立ってやりなおそうと自分をはげました。私は、テープを聞きながら、曲の流れをあたまに入れて、何度も何度もひいた。もう、私の手からは三味線がはなれなくなった。曲がどんどんむづかしくなっていった。でも、いっしょうけんめいがんばった。はやびきがひけるようになったとき、とてもうれしかった。「いちゅび小」「与那国のマヤー小」「海のチンポーラ」「唐船ドーイ」など、手が、げんの上をはねるように動いた。私はやめずにがんばってきたかいがあったと思う。何でもあきらめずに最後までがんばれば必ずできることがわかった。
 おじいちゃん、おばあちゃんの前でひいてみせると、
「まり子ー、いいクラブには入ったさ、よかったネ。」などといって喜ぶ。
 お正月や、お祝いの日には、三味線を家でせいいっぱいひくと、みんな喜んでくれる。
 渡ケ次の行事にも、よくださせてもらった。そのような時は、「本当に三味線をやってよかったなあ」と思う。
 読谷まつりでは、五校の小学校の三味線えんそうがあった。沖縄中、どこをさがしても、三百名のせいとが三味線をひく村はないと思う。読谷村たった一つだと思う。読谷村に生まれたことをほこりに思う。
 合宿では、生活のマナーや、合宿とは何かを学んだ。目標に立ち向い、いっしょうけんめいがんばった。
 二十四時間TV・愛は地球を救うでは、三味線を弾いて、アジアの人々を救うための運動に協力した。世の中が、平和でありますように、と心をこめて弾いた。
 運動会では、エイサーの曲を弾き、パーランクーが、運動場にひびきわたった。ししまいや、リズムたいこなどのえんそうもして運動会をもりあげた。
 又、あと一年、三味線部をいっしょうけんめいがんばりたいと思う。先生がよく話されるように、三味線だけでなく、勉強や家のてつだいもいっしょうけんめいがんばろうと思う。

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