平成元年七月十二日、十三日、私にとって生涯に残る思い出の日となった。
アセアン・九州ユースフォーラム。アセアン六ヶ国の代表三十人と九州・沖縄各県代表三十二人の若者達が宮崎県に結集し、二十一世紀に向けての意見交換と交流の日である。 このような国際的な交流会への参加は私にとって全く初めてのことであり、悪いことに英会話も十分ではない。それ故に今回のフォーラムは大きな不安と期待が交錯し、狼狽の連続となった。
関係者を含め百人余の人達で賑わいを見せた初日の歓迎レセプション。アセアン・九州沖縄の若者達が各班毎にテーブルを囲んでの立食パーティーである。出会いの挨拶、名刺交換、自己紹介等が各テーブルで始まり、楽しそうなやりとりが賑やかに行われている。満足に会話の出来ない私にとって苦痛の時間が始まった。それでもそれぞれのアトラクションの時は楽しく、言葉のハンディーを寸時ながらも忘れさせてくれた。
いよいよ二日目、討論会が始まった。通訳が二人付くことを聞き安堵するが、それも束の間、討論が始まると通訳の出番がない程意見の交換があり、私だけが途中で通訳を依頼するとい始末であった。今後の人選については英会話のある程度可能な者という条件
けをすべきだとつくづく感じた。
以上のように小さくなりながらかつ通訳を介しての今回のユースフォーラムヘの参加となったが、冒頭に記した様に私の人生の中で貴重な体験をすることができ、関係者に対し感謝の念で一杯である。
これまでアセアンの参加国を良く知らなかったし、彼らのライフスタイルの一部や宗教が生活基盤となっていること、結婚式の模様あるいは労働に関すること等、短い時間の中で多少なりとも知ることができた。又五百~六百年前沖縄が琉球と呼ばれていた頃の沖縄
の先人達が遠く東南アジアまで船を使って交易をしていたという史実の中で多くの文化文物の交流があり、それが今日の沖縄の文化の中に生きづいていることを考える時、何故かなつかしい思いと親しみを感じたものである。
又、今回九州各県の優秀かつ元気な若者達との出会いも大きな財産となった。今後はそのメンバーとのネットワークを大事にしたいと考えている。
最後にアセアンと日本との交流が益々盛んになり、共に力を合わせてアジアの繁栄に寄与するとともに参加者の皆様方のご多幸を祈念するものである。
読谷村商工会西平朝吉