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1989年12月発行 広報よみたん / 8頁

(歴史物語四)一二支について 曽根信一

 巳年ももう終る。次は午年だ。
この子丑寅を十二支といい、中国で三千年以上も昔から、年月日を記すのに使われてきた。元元動物とは無関係な.のだか覚え易くるため、身近かの動物の名におきかえたのだという。その由来については、何しろ大昔のことなので定かでなく、こじつけじみた話も多い。
 子は鼠算の譬え通りの多産の鼠を連想して。丑と牛の発音が昔は同じだったので。寅の元の意味は家の中で恐れ慎んでいる姿、恐ろしいのは虎だから。卯の宇の形から兎の耳を連想。辰は地震の震から竜を連想。巳の古刀字は巳で蛇そのもの。午は伍(仲間)でいつも仲間連れは馬末の昔の音は羊の声に似ていたから。申は伸(手足を伸ばす)で猿の動作。酉はで酒壷だが、鳥は適当なのがないのでこれに当てた。戌は武器で威る、犬は吠えて威す。亥と家(猪)の古字の形が似ていたから。
 十二支は時刻や方位にも使った、夜の十二時が子の刻で昼の十二時は午。これで午前午後の意味もはっきりする。「草木も眠る丑三つ時」の幽霊時間といえば午前二時ごろ。
 「夜走ラス船や子方星見当ティ」 とは北の空に輝く北極星のこ之。地図の南北の経線は子午線である。

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