読谷村史編集室 読谷村の出来事を調べる、読谷村広報データベース

1990年4月発行 広報よみたん / 4頁

ユンタンザむらおこし物産展 甘藷(いも)による二十一世紀の主役の座を求めて 基調講演から

 三月二四・二五日の両日、残波岬いこいの広場では、昨年に続いて村商工会(松田昌彦会長)主催による「ユンタンザむらおこし物産展」が開かれた。
 これは、既存の特産品と商工会のむらおこし事業で開発された紅イモ菓子やメロンの漬物等を展示即売しながら、村内外にピーアールし、販路開拓を図ろうというもので、読谷村の誇るヤチムン(陶器)読谷山花織、紅イモ、泡盛といった村内特産品がズラリ。
 昭和六一年度より「むらおこし事業」や「販路開拓事業」に取り組み始めた村商工会では、着々と成果をあげ、紅イモ菓子やメロンの漬物といった新しい特産品の開発に成功した。中でも、特産の紅イモに付加価値を見い出すべく開発された紅イモ菓子は見事的中、ヒット商品となった。世に送り出したのが昨年の「ユンタンザむらおこし物産展」だったのである。 元来甘藷(イモ)は沖縄を経て全国に広がったもの。それが今では全国各地で地域づくりの一翼を担っている。しかし、円高や貿易自由化等により、新たな展開を迫られている事も事実。そこで、日本におけるイモのルーツ沖縄県・読谷の地でイモの現状と課題、そして未来を論じ、地域経済の活性化の可能性を探ろうと物産展初日には昨年に続き、紅イモシンポジウム第二弾むらおこしほくほ討論会が開かれた。
 イモ博士こと梅村芳樹北海道農業試験場ばれいしょ育種研究室長が「昔の主食-甘藷(いも)が二十一世紀の主役になれるか」と題し基調講演。続いて「昔の主食甘場長藷(いも)による二十一世紀の主役の座を求めて」のテーマで、山根安昇琉球新報中部支社長を座長に、パネリストとして比嘉勇氏(村内生産農家)、澤邸和子氏(ポルシェ和洋菓子店経営者)、与座克巳氏(嘉手納町商工会青年部)、東江章氏(伊是名村商工会経営指導員)、具志堅健秀氏(㈱ぐしけん社長)の五氏がそれぞれの立場からイモの可能性について意見を交換した。
①イモの安定的供給体制づくり
②販路の確保③品質開発と管理
④情報源の確保⑤イモに対する意識の変革等々の課題があげられたが地元沖縄・読谷村民が一体となって取り組めば国際市場への販路開拓も夢ではないとの明るい展望が拓けた。
 尚、物産展最終日の二五日は、沖縄演劇会の真喜志康忠一行による沖縄芝居や琉球舞踊で、お訪れた客を楽しませた。

基調講演から

 原産地南米から海を渡って来たりュウキュウイモは、もともと祭事や祝事などの晴れの席での食べ物であり、食文化を伴って伝わって来たものであった。また最近では、むらさきイモに含まれるアントシアンが、制ガン作用や動脈硬化、仮性近視等に効くなど機能性食品としても、またビタミンEやCなどの栄養食品としても注目されており、イモに対するイメージも随分変ってきている。
 鹿児島県では、三年の短期間で次々と新製品が開発されたが、それらはナチュラル(自然的)(ヘルシー(健康的)ファッショナブル(魅力的)といった三要素をベースにしたものであり、しかも世界的に通用する商品開発に視点を向けたものであった。
 沖縄には年中操業できるメリットや、色良し、味良しの紅イモというとっておきのものがある。本腰を入れて取りかかると、鹿児島以上に付加価値の高い、生産コストの安い商品ができるのである。リュウキュウイモは、二十一世紀の主役たるに充分なる素質を備えている。イモに対する意識の変革からはじめるべきではないか。

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