清明の季節がやってきた。後生の花見だそうだ、本土化が進み縦割社会が浸透する中で、このような行事が何とか横のつながらをつ
なぎとめているような気がする。
この時期になると、亡くなった肉親の思出話の中からあの悲惨だった沖縄戦の記憶がよみがえる。
忘れられないのが終戦後行われた遺骨蒐集である、何ともやりきれない思いだった。足の踏み場もない程に泥田に埋まった遺骨、鉄
かぶとをかぶったままあるいは銃を抱いたまま落葉におうわれていた白骨、それらを青年会員総出で拾い集めたのだ、南部での話ではない。喜名部落東の山での話である。そこは数百人余の日本軍守備隊か全滅したところである。
その戦没者の骨を納めた塔が喜名小学校北側にある、各地にある忠魂碑や慰霊塔と同じように思うかも知れないが、この梯梧の塔は墓なのである、摩文仁にある納骨堂と同じく、日本軍将兵七百余柱の霊が眠っているのです。
その多くの霊が名前も知られず、親元へも帰れずに!