読谷村史編集室 読谷村の出来事を調べる、読谷村広報データベース

1991年7月発行 広報よみたん / 2頁

【見出し】松田善康氏(読谷村農協組合長)を称え祝賀会「全国農協功労章」を受賞 【写真:顔写真:1:余興で祝賀会を盛りあげる】まごからおじいちゃんへ 【写真:1】

 平成三年三月七日、読谷村農業協同組合長の松田善康氏側が、「全国農協功労章」という、村民にとっても実に名誉な表彰を受けました。
 その受賞を祝し、出身地の楚辺区では五月十八日午後、同区公民館ホールにおいての祝賀会が区民あげて催された。
 主催者を代表して、池原玄夫楚辺区長は「松田善康氏の受賞は、楚辺区民の誇りでもあり、この度の受賞祝賀会にあやかり第二、第三の善康さんがこの楚辺から生まれるよう」と挨拶。また、来賓として招かれた山内徳信村長も祝辞の中で「善康氏は、昭和三十七年以来今日まで、沖縄県保護司に任命され二十八年間に及ぶ献身的な活動を行なっている。村政にとっても重要な人」と賞賛。会場からひときわ大きな拍手が沸き起こった。
 本人あいさつの中で、氏は「この度の受賞は、私の力だけではない。村民の力、区民の力のお陰で今の自分がある」と控えめに語り、逆に村民を称える言葉は、氏の人柄を忍ばせた。
 祝賀には数多くの余興が準備され、青年会、婦人会、老人会などが、氏の功績を称えるために舞いを披露して祝賀ムードを盛りあげ、会場は夜遅くまで賑わった。
※松田善康氏のプロフィル~
 氏は、昭和十七年三月、古堅国民学校高等二年を卒業後、楚辺区の使丁をかわきりに、終戦後は軍雇用員として勤務。区民からの信望が厚く、昭和三十四年には楚辺区会計に推挙され、軍を退職。
 同区の会計、区長を経て昭和三十七年には、三十五歳の若さで読谷村議会議員に初当選。二期八年間を議会活動を通して読谷村に情熱を捧げ、任期満了に伴なう昭和四十五年九月には読谷村農協の専務理事に就任。昭和五十七年、読谷農協組合長に昇任する。
 特に、この頃は、政府の財政逼迫を理由に、さとうきび価格等の農産物価格が厳しくなり始めた時であり、更に、その後の農産物の自由化問題が表面化するのであるが、その自由化に対処するため、翌年には「蔬菜、観葉、切花」の三部会を発足させ、生産組織の専門化を図る。
 また、その後も畜産、紅芋の両部会を結成し、より高度な農業を目指すべく組織強化に乗り出し、読谷村の農業の発展と振興に多大な功績をあげ、沖縄県中央会理事共同ガス役員、共済連会長及び理事を歴任し、現在に至る。
 ※表 彰
昭和44年10月
●行政主席表彰(保護司)
昭和51年12月
●読谷村社会福祉協議会長賞
昭和56年9月
●九州地方保護司委員会委員長賞
昭和59年10月
●全国保護司連盟会長賞
昭和62年10月
●法務大臣表彰(保護司)
平成3年3月
●全国農協功労章

 おじいちゃん、しょうじょうもらっておめでとう。
 とっても、おおきいしようじょうだからうらやましいな。
 「おじいちゃんが、のうきょうのしごとや、あつまりのしごとや、はたけのしごとをがんばったから」って、おかあさんがいっていたよ。
わたしもがんばってみようかな。
 おじいちゃん、これからもげんきでがんばってね。
  あなたのまごより
  一ねんまつだわかな

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