読谷村史編集室 読谷村の出来事を調べる、読谷村広報データベース

1993年1月発行 広報よみたん / 10頁

【見出し】宮崎県日向市との交歓研修会に参加して波平子ども会六年上地真知子 【写真:歓迎式典で「鶴亀節」をおどりました】

波平子ども会
    六年 上 地 真知子

 私達読子連は、八月十九日から二十四日までの五泊六日間、宮崎県日向市の子ども会との交歓研修会に参加しました。これは今年で十三回目ということです。私はこの研修会がずいぶん長い間続いていることにびっくりしました。
 私達波平子ども会からは十二名の参加です。たくさんいるためか事前研修では他の子ども会の人達とあまり仲良くなれませんでした。
 出発の前の日の夜は、ぜんぜん眠れませんでした。それは、初めて飛行機に乗ったり、電車や船に乗るからです。それに、他の子ども会や初めて会う日向市の人達と友達になれるか不安でたまりませんでした。
 出発の日、午前七時三十分に中央公民館に集合です。教育長先生等の話を聞いて、お母さん達に見送られてバスで那覇空港に向かいました。那覇空港に着いて飛行機に乗るまで、私の胸はとてもどきどきしていました。初めて乗る飛行機にしてはそれほどこわくはなかった。一時間程して鹿児島空港に着きました。
 国分駅から、にちりん四十八号に乗って約二時間半で日向市に着きました。電車から降りると、駅では高橋市子連会長と、ジュニアリーダーの皆さんが横断幕を持って歓迎してくれたのでとても感動しました。日向市の人達は心のやさしい人だなあと思いほっとしました。それから、日向市の中央公民館で歓迎式典がありました。ジュニアリーダーの皆さんと一緒にゲームしたりして楽しく過ごしました。私達は、読子連の代表として波平子ども会のメンバー八名で「鶴亀節」を踊りました。大きな拍手をもらい嬉しかったです。
二日目は、午前九時から日向市役所で市長・教育長表敬訪問がありました。日向市と読子連でプレゼント交換をしました。私達からはパーランクーに一人一人のメッセージを書いてプレゼントしました。他にないプレゼントなのできっと喜んでくれたと思います。
 午後五時から往還公民館で焼肉パーティーがありました。みんなでエイサーや事前研修で習った「四季のメロディー」などを一緒に踊りました。私は去年私の家で民泊した田原さやかお姉ちゃんに会えてとても嬉しかったです。少ししか話せなくて残念だったけれど、「民泊の日、また来るからね一と約束したので、その日にまた会うことにしました。
 焼肉パーティーが終わってから今度は男子の泊まっている山下公民館へ行ってキャンドルサービスをしました。私達の班の誓いの言葉は「みんなで仲良く、楽しく遊ぶ」でした。その夜はみんなで誓いの言葉どおり仲良く過ごしました。
 三日目の朝は雨が降っていて水泳ができないと思って少しがっかりでした。でも、だんだんと晴れてきて水泳ができると聞いたときには嬉しかったです。
 南郷牧水の里は、緑がたくさんあってとてもきれいだなあと思いました。水着に着替えて川の中に入ってみると、水が氷水のように冷たくて、川幅も広く、流れも急で、沖縄の川とは全く違います。
 公民館へ帰ってからはずっときん張していました。それは、今日は民泊の日だからです。私は美鈴さんと一緒に新名さんの家に民泊することになっていました。新名さんの家庭に暖かく迎えられた時はほっとしました。
 翌日、新名さん夫婦と四人で宮崎県科学技術館に行きました。そこではプラネタニウムを見たり、コンピューターをうったり、乗り物に乗ったり、あまりの楽しさにはしゃぎまわってしまいました。それを新名さん夫婦は、自分の子どものように一日中接してくれたので私達もだんだん慣れてきました。公民館に帰るときはもっと新名さんの家にいたいなあと思いさびしくなりました。
 いよいよ今日は日向市をあとにして沖縄に帰る日です。バスで宮崎県の観光をしました。えびの高原を通って霧島神宮へ行きました。そこには「ににぎのみこと」という神様がまつられているとガイドさんが話してくれました。みんなで参拝をしておみくじをひきました。初めてで大吉でした。うれしくてたまりませんでした。
 それから磯庭園へ行きました。私がおどろいたことは、沖縄から贈られてきた殿様などが俳句を読んだりして遊んだぼうえんかくがありました。そこからは、さくら島がはっきりと見えました。もう一つ、私が興味をもったものがありました。それは花時計です。私達が見たときは花が咲いていなくて残念でしたが、初めて見るので「きれいだなあ」と思いました。磯庭園から約半時間で鹿児島港に着きました。帰りは船で一泊することになりました。
 翌日、夕方になると読谷村の残波岬が見えてきて、みんなで船の中から読谷村にあるいろいろな建物などを見つけたりして喜びました。沖縄に着くのがとても待ち遠しくてたまりませんでした。 那覇港に着いたときは、みんなと別れるさびしさと、家族に会えるうれしさでいっぱいでした。帰るときバスの中で歌を歌い続けていたら、あっという間に村役場の前まで来ていました。私は母が迎えに来てくれていました。車の中では家族に思い出話をたくさん話したくて胸がわくわくしていました。
 小学校最後の夏休み。たくさんの友達もできて貴重な体験ができました。
 日向市でお世話になった皆さんのことを、いつまでも忘れません。

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