読谷村史編集室 読谷村の出来事を調べる、読谷村広報データベース

1993年1月発行 広報よみたん / 11頁

【見出し】中国大陸三〇〇〇キロ踏査行に参加して 金城毅 【写真:百年余りの時を経て進貢船(泰期)の雄姿と進貢使路踏査団】 新垣朝美 【写真:泉州市民の「熱列歓迎」に感激】

金 城  毅

 一九九二年、四十七年ぶりに古都。首里に、琉球王朝繁栄の象徴、そして沖縄県民のための「首里城」がよみがえり、NHK大河ドラマには、激動の琉球王朝時代を背景にした物語が選ばれ、巷には「新しい風」が吹いている今年、沖縄復帰二十周年。日中国交正常化二十周年の記念事業として、「中国大陸三千キロ踏査行」が、沖縄県、沖縄タイムス社の主催により実施されました。 「中国大陸三千キロ踏査行とは、かつて琉球が、一三七二年明国に対し察度王の命にて泰期らを使わして以来、「進貢ー冊封」関係をベースに、進貢貿易を主軸として東南アジアまで貿易を拡大し「大交易時代」を迎え輝かしい王朝文化の花を開かせ、進貢使節が、十四世紀~十九世紀までの約五百年にわたって行き来した進貢使路で、福建省から北京までの道程は、中国と琉球を結ぶ「大いなる歴史の道」であり、また中国から様々な、文物を取り入れた「文化の道」「技術・産業の道」でもあります。進貢使節団によって琉球にもたらされた恩恵は計り知れないものがありました。
 百十八年ぶりに、現代の若者が歴史を体現して、過去の歴史を継承し、二十一世紀に向けた地域づくり、国際化に対応する人材の育成を目的に「新たな道」の創造を試みるものです。
 今回の中国大陸踏査行は、二種類あり、A福州から北京(福州進京水陸路程より)までの、福建・浙江・江蘇・山東・河北の五省、天津・北京の二市を通る、三千キロを六十日間で踏査する、大学生主体の全行程踏査団と、B二週間ごとに沖縄を出発し、それぞれの地点で全行程踏査団に合流し、二週間の日程で帰国する社会人主体の4部分踏査団(一コース福建省、ニコース浙江者、三コース江蘇省、三コース河北省)に分類されます。読谷村からは、部分踏査行一コースに二名、三コースに一名の計三名が派遣され、私は一コースに参加しました。壮大な意義ある踏査行に、志ざしを持ち参加した若者達と朋友になり、先人が多くを学んだ中国での体験・交流を生かし、沖縄の将来を担う彼らと共に、これからの国際化時代での地域づくりなどを考えてゆきたいです。

新 垣 朝 美

 去った八月二十六日~九月八日までの日程で、私は、沖縄タイムス社主催「中国大陸三千キロ踏査行」の第一コース(福建省ー泉州・福州~武夷山)へ、読谷村派遣の団員として参加しました。 この試みは、沖縄の本土復帰及び日中国交正常化二十周年を記念するこの年に、琉球の先人達が過去五百年に渡って歩いた「進貢使路」を、現代の沖縄の若人が再び辿ることによって中流交流の歴史を振り返り、更には、二十一世紀へ向けた新たな交流の「未来を開く」という狙いで行われた事業です。
 事前学習で、中国の現在の生活水準は、ちょうど三十年程前の沖縄の生活に相当すると聞いてはいましたが、実際、ホテルへ向かうバスの中から眺めた初めての中国は、全く異国の地を感じさせず、あたかも、テレビで昔の沖縄の映像を見ているような気分でした。
 八月二十八日、泉州市では小雨の降る中、航海の神「媽祖」(まそ)がまつられている天后宮で、踏査行の無事を祈る安全祈願祭の儀式が、古式にのっとって行われました。私たちは、泉州市民の「熱列歓迎」を受け、琉球館跡から天后宮までの沿道は、花束を両手に「歓迎、歓迎」(フワンイン・フワンイン)と手を振る、可愛い小学生が立ち並び、また様々な衣装をまとった人々による民俗舞踊が繰り広げられ、更に、天后宮の門前では耳が痛くなるほどの爆竹が打ち鳴らされて邪鬼払いが行われるなど初めて見るもの全てが、目を見張る程の迫力で、唯々、圧倒されるばかりでした。
 また踏査中、私たちは各地域の人々と晩餐会や芸能交歓会の場をもち、空手・琉舞・エイサー等の琉球芸能を披露しました。各交歓会のフィナーレでは、中国側・沖縄側皆総立ちで輪になって”カチャーシー”を踊り、言葉が通じなくても共感し合うことの出来る沖縄民謡の素晴しさを実感しました。
 踏査行を通して私は、団体行動の規律を守る必要性、また、個々の自主性を重んじ一人一人が自分なりに考え行動することの大切さを学び、大変嬉しく思っています。
 最後に、このような貴重な体験を得る機会を与えて下さいました読谷村役場の職員の方々をはじめ、応援していただいた村民の皆様方に心より厚く御礼申し上げます。

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