読谷山は甘藷の生産地としてよく知られ、ユンタンザと言えば甘藷を思い浮かべる程であったということです。
中でも「楚辺クラガー」はおいしい甘藷の代表として、那覇の市場では最も高い評価を得ていたのです。
村民もまた、甘藷の名産地としての自負をもっており、戦前の村歌では次のように歌っています。
「中頭郡の北の方/国頭郡に隣せる/二方里余る我が村は/甘藷に名を得し所なり」
この歌では、わが村読谷山(ユンタンザ)は甘藷によって名を得ている、つまり有名であるということです。
読谷山小学校の校章は甘藷の葉をかたどったものでしたが、戦後の読谷小学校はそれを受け継いでいます。郷土の名産品を誇りにする子の育成をねらったものでしょう。
甘藷の名産地という名声を博している裏には、先人たちの育種・栽培上の努力があったればこそですが、同時に甘藷を大事にし、それを導入した人への感謝の心ということも忘れてはなりません。
先の「野国総管招魂碑」でも書きましたが、村内の各所に総管に関する碑や拝所があるのは総管への感謝の表れに外なりません。
写真にあるのは字親志の「野国総管之碑」です。
国道五八号を北上し、オキハムを越えた、なだらかな下り坂の下に信号機があります。そこは十字路になっていて、左は米軍の弾薬倉庫のゲートで、右は親志の拝所ヘ通じます。拝所には「土帝君」が祀(まつ)られており、その隣にこの「野国総管之碑」はあるのです。
戦前の「土帝君祭り」は旧の二月二日、九月九日、一二月二四日の年三回行われたということですが、野国総管のお祭りも同時に執行したと思われます。「土帝君」は「土地公」とも呼ばれる中国伝来の土地爺像で、農業振興もつかさどると言われます。野国総管と一緒にお祭りすると一層霊験あらたかかも知れません。
さて、読谷は戦前の甘藷の名産地読谷山を受けて、戦後はまた「ベニイモ」の名で読谷甘藷を世に広めました。
ところで甘藷の品種に「ベニイモ」という名はありません。皮が赤く中味が紫の甘藷は「富農三六号」といい、皮が白くて中味が紫は「備瀬一号」で、この二つを総称して「ベニイモ」と呼んでいるのです。
品種ではありませんから、これはいわゆる商標と言うべきものでしょう。つまりトレードマークです。読谷で生まれたこの商標が、今では他村の製菓業者も「ベニイモ」という名を使っています。うっかりすると本家本元をさしおいて他の地域で大きく使われる恐れなしとしません。今こそ商標登録が必要ではないかと思いますが、どうでしょうか。