読谷村史編集室 読谷村の出来事を調べる、読谷村広報データベース

1994年7月発行 広報よみたん / 6頁

【見出し】読谷山風土記(41)カナチ口 渡久山朝章

 綱引き(綱曳き)は、沖縄本島ではおもに旧六月十五日の六月ウマチーを中心におこなわれました。
 綱引きの行事は農作のお礼と豊年をニライカナイの楽土から引き寄せるユークイ(世乞い)、それに火の神へのお願いの意味ももつといわれます。
 綱はウージナ(雄綱)とミージナ(雌綱)があり、それぞれ先の方は輪になっています。引く時は、雄綱の輪を雌綱の輪に入れてカヌチを入れて雄綱が抜けないようにします。
 カヌチ棒を差し込んだ場所は、相対する二つの勢力が向かい合う先頭で、ここが審判からみて左に寄るか、右に行くかで勝負が決まります。
そこの呼び名は村々によってはカヌチクチ、あるいはカニチクチ、またはカナチクチといい、そのこには目印の石等を立てます。
 写真は字渡慶次のもので「カナチ口」とされ、次ぎのような説明があります。
「渡慶次の綱曳きは、豊年を祈願するため毎年旧暦六月十四日に行われたが、その起源は不明である。
 綱作りは戸数と人口に割れ当てられたワラを集め、十五歳以上三十七歳までの男子が一日がかりで綱を綯い、束ねて大綱を作った。
 綱曳きは中通りを境に「アガリニンズ」と「イリニンズ」という東西二陣営に分かれて争われ、雄綱は東、雌綱は西、カナチ棒マチヤーは雄綱の東と決まっていた。
 カナチ棒とは綱曳の時雄綱と雌綱のつなぎ目に通す棒のことで又、雄綱・雌綱が相接しつながる所がカナチグチと称した。
 渡慶次綱は村内でも定評があったが、当時渡慶次には田が少なくワラは時給できず他村から買う有様で、これでは豊年祭の行事としては相応しくないと、一九三九年を最後にその勇壮な場面を見ることはできなくなった。」
 カヌチは沖縄文化史辞典では「貫抜き」とされていますが、「貫」はつき通すことであり、「抜く」は「貫(つらぬく)」とは逆に引く抜くことです。それで「貫抜き」と書きますと突き通すことか、あるいは引き抜くことになるのか意味が判然としません。
 カヌチは「閂(かんぬき)からきたものではないでしょうか。
閂(かんぬき)は「かんのき」の略で、締めた門や戸を開けられないようにささえる横棒のこと、と辞書にはあります。
 さて、話は綱引きに戻りますが、一般的に東が勝つと農作で、西が勝と不作(あるいはその反対)と言われたようですが、それにもかかわらずみんな精一杯引いたのです。
 たま雄綱と雌綱の場合は、雌綱が勝つと豊年になるといって喜ばれました。
 綱引きは、その集落の最も大きな行事の一つであるばかりでなく、近隣の字からの見物人もおしかけて大変にぎわったものです。

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