私たちのすむ読谷村に『ポイすてきん止じょうれい』が今年七月一日からできました。
私は、さいしょに聞いたときあたりまえのことなのにと思いました。
でも、道ばたになげすてられた空缶やチリをみてこのままでは、読谷村ではゴミでうまってしまうのではと思い、せいけつで美しい村にするためにはいいことではないかなあと思いなおしました。 私の家の近くにも、チリ取り車が、もえるチリともえないゴミに分けて三回来ます。毎回すごいごみの山です。
まだまだ、つかえそうなものが、たくさんあって、とてもかんしそうにみえます。
すてればゴミとなるし、生かせばしげんになることを、もっと一人びとりが考えてゴミを出したら、いいのではないかと思います。
しげんにもかぎりがあって、いるまでもないということを忘れてはいけないと思います。
また、うめたてられたゴミでも土になるのは生ゴミでやく二十年、紙などがやく五十年~百年くらいかかると本で読みました。
だから、こんなことをしていたらうめ立て地もなくなってしまいます。
私たちが何げなく出しているゴミ、いったいどうしたらへるのだろう。
私はまず、みじかなことから考えました。
まず、私たちが、いつも飲んですてている空缶やビン、これはすてるのではなく、作った会社はせきにんをもって回収して、リサイクルしたらいいと思います。
次に、トイレットペーパーです、今は、さい生紙よりも、パルプ百パーセントの方が安いと本で読みました。(何だか変です)。
それで、紙パックなどを回しゅうしても引き取り手がないそうです。
だから、トイレットペーパーやティシュは、パルプ百パーセントでは作っていけないと、決めたらいいと思います。
まず、私たち読谷村の人から始めて、読谷村のスーパーではさい生紙のティシュや、トイレットペーパーだけ売ることにしたらいいと思います。
また、新聞、牛にゅうパッ。ク、ダンボール、本などはチリとせしてぜったい回収しないリサイクルとして、べつに回収する。それから、村内に、リサイクルセンターのしせつがあってもいいなと思います。日曜日には、各家庭のふ用品をもちよって、必要な人につかってもらったり、交かんの場所にしたらいいと思います。
さらに、村内の新聞にリサイクルコーナーがあって、必要のなくなった物を必要な人にゆずったりして、一つでもゴミがへり、さい利用されたらすばらしいと思います。
ドイツという国は、リサイクルのてっていした国ということを本で読みました。
たとえば、ほうそう材をすててはいけないそうです。それにい反したらなんと、やく八百万円のばっ金だそうです。
その他に、家庭電化せい品や、はい車も作った会社が責任もって回収して、リサイクルするそうです。
日本も、私たちの読谷村もせいけつで、美しい村にするために、いい所はみならったらいいと思います。
かぎりある地きゅうのしげんを大切につかい、リサイクルを心がけることをだいじに、私の家では(私は)、これからも買い物にはふくろをもって行き、牛にゅうパックやチラシ、本などはまとめてたばねて、さいせい用紙に出したり、小さなことからやっていきます。