読谷村史編集室 読谷村の出来事を調べる、読谷村広報データベース

1996年7月発行 広報よみたん / 58頁

【見出し】基地ころがし <現地からの報告> ⑨嘉手納弾薬庫地区(読谷村) 返還合意施設に滑走路 

 普天間飛行場の全面返還に伴う滑走路付きヘリポートの建設場所として嘉手納弾薬庫地区が候補に挙がっている。その報道に接して読谷村の長浜功勇・転用対策課長は、一瞬、言葉を失った。
 「急にあんな話が出て来たんで、ほんとにびっくりしました。実は、昨年十月から年末にかけて、あそこは近く返還されるだろうと那覇防衛施設局から聞かされていたんです」
 読谷村のアロハゴルフセンターから恩納村の琉球村に至る区間は、国道58号の右も左も嘉手納弾薬庫地区である。国道の東側部分約四四・五㌶は昨年十二月二十一日、返還合意された。ヘリポートの建設が検討されているのは、ASP1と呼ばれる国道の西側部分である。
 読谷村の座喜味、親志、恩納村の宇加地、真栄田、塩屋、山田にまたがる。同地域の返還の動きが表面化したため、恩納村・山田区(糸数吉雄区長)は一月十二日、「すぐに返されたら困る」と、村当局に返還反対の要請をした。
 弾薬庫の国道西側部分に村有地があり、村は、軍用地料の一部を入会補償の名目で山田区に流している。区の行政は、この補助金に支えられている。
 「勝手に返還されては困るということで要請したが、しかし、ヘリ基地がくるとなると話は別」だと糸数吉雄区長は言う。
 読谷村の反応は素早かった。「時代錯誤も甚だしい。言語道断だ」—山内徳信村長は今でも怒りがおさまらない。
 沖縄県中部市町村会(会長・桃原正賢宜野湾市長)は四月三十日、基地機能の県内移転に反対する共同声明を発表したが、声明を読み上げたのは会長の桃原宜野湾市長ではなく、副会長の山内村長であった。
 声明は「五十年にわたって基地被害を受けてきた地域住民にさらなる地獄の苦しみを強いるもの」だと、激しい言葉で日米両政府を批判している。
 十九日には村内二十八団体を網羅した実行委員会が村民総決起大会を開く。
 恩納村議会の宮平安徳議長も「移転ということになればこぶしを上げる。受け入れるわけにはいかない」と話す。
 読谷村の長浜・転用対策課長は、しかし、半信半疑だ。「あそこは安保協で返還に合意されている。ほんとに、そこに移すんですか」
 嘉手納弾薬庫地区の国道58号西側部分は、一九七四年の第十五回日米安保協議委員会で確かに返還に合意されている、と防衛施設庁もその事実を認めている。
 返還合意施設に滑走路付きのヘリポートを建設するとなれば、新たな問題が生じる。
 地元住民にとって、見えない影におびえる日が続きそうだ。 (中部支社・長元朝浩)
《言語道断 19日に総決起大会》

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