甘藷シンポジウム
読谷紅イモ新たな挑戦
佐久川清助生誕一五〇年記念事業の一環として開催された、甘藷シンポジウムには村内外から二〇〇人余が集う中で、川越サツマイモ資料館の井上浩館長により「甘藷の文化史と地域活性化」と題して基調講演がなされました。
その後、佐渡山美智子さんがコーディネーターを務める中「読谷紅イモ新たな挑戦」をテーマに活発なパネルディスカションが展開されました。パネリストを務めた方々は、紅イモ生産農家代表の仲宗根盛敏さん、(株)ユンタンザ代表取締役社長の大城勝哲さん、沖縄県農業試験場病虫部害虫研究室長の安田慶次さん、読谷村農業委員の比嘉好子さんに井上浩館長を加えた五氏で、それぞれの専門分野から熱心な討論が交わされました。
基調講演で井上氏は、「なぜイモに興味を持つのかと聞かれるが、戦中世代だと当然イモに恩義がある。川越イモは江戸時代に焼き芋の産地として有名になったが貯蔵が大変でした。沖縄では年中甘藷の花が咲いておりうらやましい。」とイモの伝播の歴史を紐解きました。また、イモを通した地域興しの事例として、唐芋モニュメントでアピールする熊本県大津町、千葉県のイモづくり名人二〇人の活動の様子、千葉県栗源町役場の壁面や女子職員の制服をイモの紫色に統一し、町の負担でやっているイモ畑の結婚式を挙げていることなどを紹介しました。
パネルディシュカッションのトップを切って発言した仲宗根氏は「一九七〇年頃から焼き芋用のイモが商品取引されるようになり宮農三六号すなわち紅イモが登場した。七七年には座喜味区にイモ団地が建設されその頃から「読谷紅イモ」の名称が生まれている。九〇年には農協に琉球芋生産部会が結成された。特筆すべきことは今年五月に蒸熱処理施設が完成したことです。」と読谷紅イモの歴史を振り返りました。これからの課題として「色・形・味を守り信用第一を基本にしたい。そのためにも、イモサルハムシの防除法の研究を希望します。」と述べました。
大城氏は、「読谷紅イモというブランド名は本土でも確立されており、今後の課題は自信をもって出荷できる品質管理と蒸熱処理施設に持ち込まれるイモの歩留まりを伸ばすことだが、最近は農家の栽培技術が向上している。今後市場に対する供給力がためされる」と商品としていい品質のイモを作ることだと結びました。
安田氏は、「現在イモゾウムシやアリモドキゾウムシの根絶に向け研究が進んでいる。一方、健康ブームにのり有機肥料による栽培が求められている。消費ターゲットとして若い女性にむけ一〇〇gほどのかわいいイモを箱詰めして販売してはどうか。また、読谷といえばキロロが有名、歌詞の中に紅イモが入ったら売れること請け合い。」とテレビ番組「ちゅらさん」のゴーヤー効果を事例に販路拡大について発言しました。
比嘉さんは、「私の十三祝に叔母がンムニーにターンムを混ぜた料理が忘れられない。戦時中に生き延びることができたのはイモのお陰と感謝している。」と戦前の思い出を披露し、「農協女性部でイモの加工品を各字に公募したところ百点余が集まり、九十七年一月にオープンしたユンタンザ十八番市で女性部で作った紅イモ加工品も好評です。」と紅イモ加工品の取り組みを紹介し、自身が着用している紅イモ染めのモンペも立ち上がって披露し「読谷村を紅色に染めるのが私の夢です。」と結びました。