人権について
古堅中学校 幸地若菜
私はこの夏、アメリカに行ってきました。そこで障害者に対するいろいろな発見をしました。
私がアメリカでお世話になったホストファミリーのお母さんは、足少し悪いらしく、補助器をつけていました。歩くといつもギシギシとなり、私はいつも「歩きにくそうで、かわいそうだな」と思っていました。
ホストマザーと二人で、近くのスーパーに買い物に行ったとき、障害者専用の駐車場の広さに驚きました。私が今まで見た日本の駐車場は、ほんの数台しかとめられないような所でした。しかも、その少数しかとめられない駐車場には健常者の人たちが駐車をしてしまうという悲しい場面を何度も目の当たりにしました。「自分一人なら」「少しの間だから」そんな軽い気持ちが、障害者の人たちの自由の妨げになっていると思います。
アメリカでは、ロープウェイがついている場所が多かったのも印象的でした。また、トイレも障害者の人のために手すりを設けたり、場所を広くとったりと、すごく気を使っているのが分かりました。
また、ホームパーティーに行ったとき、指が一本ない五か月の女の子がいました。私はやっぱり「かわいそう」と思っていました。
しかし、私のホストマザーは、その子を見て、健常者に接するように話しかけていました。また、他の人たちも指の事は気にしないようでした。私は一人だけ、すごく複雑な思いでした。女の子をかわいいとは思っているのですが、どこかで「今からきっと大変だろうな」と思っている自分がいたからです。だから話しながらも、指をチラチラ見てしまいました。今考えれば、その女の子がまだ小さかったから分からなかったけど、もし自分の意志をもてる年頃だったら、こんな私の態度にも気づいて、きっと傷ついていたと思います。そう思うと、すごく心が痛いです。かわいそうと思う気持ちが、逆に相手を傷つけてしまうのです。私はそのとき、ホストマザーもかわいそうと思っていた自分に気づいて、本当にショックでした。いつも、足が悪いから何かしてあげたいとか、手伝ってあげたいと思って、ホストマザーを気にしていました。その行動も、お世話になっているからと思ってやっていたのではなく、かわいそうと思う同情心から行っていたことに、すごくもうしわけない気持ちでいっぱいでした。
私は今までいろんな障害者の人と接したり、話を聞いたりしましたが、いつもどこかで「かわいそう」という気持ちがあったと思います。でも、そう思うことは本当の優しさではなく、同情という障害者の人たちにとってすごく悲しい感情だったことに気がつきました。アメリカは、障害者に対してすごくオープンで、障害者の人たちもみんな明るい人が多かったです。これから、私は障害者の人たちを見て、自然に接することができるようになりたいです。