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2004年8月発行 広報よみたん / 6頁

支え合う社会をめざして あやとり広場② 「女性の差別撤廃・地位向上を叫ぶ歴史的背景」

支え合う社会をめざして
 あやとり広場②

「女性の差別撤廃・地位向上を叫ぶ歴史的背景」
 
 今回は、女性運動の歴史(世界の動き)についてご紹介したいと思います。
 男女平等の意識や女性の地位向上を訴える背景には、第二次大戦以前にまで遡る、長い女性蔑視の歴史があります。過去七〇年におよぶ世界的女性運動は、男女間にある「差別」や「不公平」をなくすために、法制を改革するなど、世界規模でさまざまな取り組みがなされてきました。その推進力になったのが、一九四五年に設立された国際連合を中心とする国際制度です。
 基本的人権の保護を確立するため国連では一九四八年、「世界人権宣言」が採択され、二〇年後の一九六七年には「女性差別撤廃宣言」が採択されました。また、九二か国が加盟する、国際婦人組織「国際民主婦人連盟」は、一九七二年に女性の権利擁護のための「国際婦人年」を一九七五年にすると提唱し、国際婦人年の第一回世界会議(一三三か国参加)が「平等・開発・平和」をテーマにメキシコで開かれ、「世界行動計画」が決議されました。一九七五年の「国際婦人年」とそれに続く「国連婦人の十年」(一九七六年~一九八五年)は、世界各国で「国内行動計画」の策定と法の整備などの取り組みが推進されることになりました。
 「国連婦人の十年」の中間年に当たる一九八〇年には、第二回世界会議(一四五か国参加)がデンマークのコペンハーゲンで開催されました。その時、女性に対する差別は人権侵害であると定めた女性の憲法とも呼ばれる「女子差別撤廃条約」の署名式が行われ、我が国も初の女性大使となった高橋展子氏が政府代表としてこの条約に署名しました。
 一九八五年にケニアのナイロビで開かれた第三回世界婦人会議(一五七か国参加)では、「二〇〇〇年に向けた女性の地位向上のための将来戦略」が採択され、一九九五年、北京での第四回世界女性会議(一九〇か国)は、あらゆる政策決定の場への女性の参加とエンパワーメント(力をつけること)を採択しています。このような世界規模で開かれた女性会議が、我が国の男女平等政策に大きな影響を与えることになりました。
 次回はこの世界的な動きを受けての我が国の動向をご紹介したいと思います。
 読谷村役場企画財政課
        平良充子

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