北海道「蝦夷太鼓」と交流
読谷村身体障害者協会創立四十周年記念
我々、読身協のメンバー二九人は、一年間旅行費用を積み立てて、去る七月五日から八日までの三泊四日の日程で「蝦夷太鼓」のメンバーとの三年前の読谷での交流会以来、北海道での再会のため、真夏の沖縄を出発しました。
障害者が旅行に出かけることは不便がともなうもので、主に機能訓練をしている者と視覚障害者とが車いすと介助者をたよりに慣れない飛行機を乗り継ぎ、肌寒い釧路空港に到着しました。
さっそく、釧路市の「交流プラザさいわい」いう施設で歓迎を受け、お互いの再会を喜び和気あいあいとした雰囲気の中、迫力のある太鼓の演奏を披露してもらいました。
読谷での太鼓の演奏旅行を思い出すと「竜宮城」に行って来たかのような心もちになり、以来沖縄病に取り憑かれたことや手みやげのサターアンダーギーを懐かしがったり、泡盛や釧路の地酒を酌み交わしたりでさらに友情を深めました。最後に双方で太鼓を叩き合い再会を期して、二時間余の交流会を閉じました。
二日目、阿寒湖の遊覧船に揺られながらマリモ伝説を聞き、神秘的な霧の摩周湖で湖の精と一緒に湖底に沈んでしまいたいようなそんな幻想的な気分になり、後ろ髪を引かれる思いを乗せてバスが行くと、硫黄の臭さにふと我に返る。着いたここは伝説的で神秘的な湖とは対照的な活火山の硫黄山でした。泡沫(うたかた)の夢と消え去る、摩周湖。
観光地はほとんどが国立公園で、開発が規制されているからなのか、遊歩道等が一般の観光地のようには整備がされてないか、整備はされているものの貧弱で車いすの利用や視覚障害者には散策するのが困難でしたが、トイレは障害者も利用できるように整備されていました。
三日目、残雪に蝦夷シカのたわむれる知床の峠にてバスを降り立てば、間近に国後島を見ることができました。歯舞・色丹・択捉の四島よ早く祖国に返れ、手を伸ばし、返せと叫ぶ北の島「知床旅情」を車内で聴きながら網走温泉へと向かいました。
最終日は、旧網走刑務所である日本で唯一の監獄博物館の見学に行きました。施設内は広く歩道も整備されていて車いすでの移動や視覚障害者の歩行も比較的たやすく、ただ難を言えば施設自体が山の斜面のような所で坂道の上り下りには介助者にはすまないような気がしました。施設の案内を受け、独房跡に入りおどける参加者もいましたが、囚人たちの過酷な労役や待遇を聞くと複雑な心境になり考えさせられてしまいました。罪人の、ざんげの跡か網走にとの思いを胸に、女満別空港から北海道を後にしました。
今回の我々障害者による旅行は、今流行りのバリヤフリーを体験する機会でもありました。
各空港での車いすでの別階への昇降はエレベーターのみに頼らざるを得ないところですが、車いす一台に介助者一名がエレベーターに入るのが限度であり、飛行機へも他の利用者より優先的に搭乗させてもらえるのですが、時間がかかりどこの空港でも離陸の時間が遅れていましました。このままでは他の利用者に障害者が一緒だと飛行機の発着が遅れるといった新たな差別的な考え方が出て来ないかと懸念されました。
ホテルや旅館においてもスロープの幅が狭く、階段から車いすが転げ落ちはしないかとハラハラしながらのチェックインでした。
このように障害者の視点に立ったバリヤフリーではなく、法令の基準をクリヤーするためのバリヤフリーでしかないと感じさせられた旅行でもありましたが、我々障害者が「もっと人にやさしいバリヤフリーを」と声を大にしなければならないと思いました。
今は障害のない人でも高齢者になると車いすの世話になったり、あるいは誰でも障害者になる可能性があるのですから。
文、社会福祉協議会事務局
知花 光治