読谷村史編集室 読谷村の出来事を調べる、読谷村広報データベース

1958年5月発行 読谷村だより / 3頁

なぜ読谷村は糖業村としてしられたか

なぜ読谷村は糖業村として知られたか
比嘉 良平

 去る一月二十一日の読谷村だよりに、或る一老人が村の歩みを見てと、書かれた、御感想に「古きを見て新しきを知ると」と云う言葉があるが是から発展せんとするには先づ其の過去を省み現在をみつめ将来を考えて出発するのが順序であって村や学校等が記念式を挙げる趣旨もここにあるのである、と云われているのに基いて去年十二月読谷村が発刊した村の歩みの中の第三章産業経済第三節産業構造第二項農業の部に読谷村は糖業村として知られている。又読谷山種の産地でもあるとの記事がありますが、何が故に読谷村が糖業村として世に知られたか又あの読谷山種既ち読谷山甘蔗とはどんなものか此の二つの問題の古きを尋ねて又共に進みましょう。
 先づ読谷山種即ち読谷山甘蔗に就き尋ねて見ましょう、昔の甘蔗は節が大きく節間が細い小さい島甘蔗で砂糖を製造していた。又甘蔗の繁殖には古株を掘り起こして他の畑に植え付けた。いわゆる株出(方言クーシグチ)繁殖していたが、明治の半ば頃楚辺村(ソベ字)

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