読谷村史編集室 読谷村の出来事を調べる、読谷村広報データベース

1958年5月発行 読谷村だより / 3頁

私の養鶏について 渡慶次ひかるグループ

〔23号2ページの続き〕

して特別に準備したのはありません。幸に生活改善グループの月模合を二十五人のグループ員でやっていましたのでグループの皆さんに養鶏を始めるからと事情を話して二、五○○円の模合を優先して戴くことにしました一羽五十五円ですから一五○羽で八、二五○円不足分は農協からかしていただきました。
 一九五六年十月二十二日に五○羽ひきつづき一○○羽のレクボン初生ひなを求めることができましたひなから成鶏までに育て上げる苦労はみな大底のことではありません。先づひなには色々の病気が多いのにはびっくりしました。消化器からくる病気に食滞というのがありますが原因は穀物の食べすぎ飲み水の不足温度不足による場合が多い脚弱は元気だったひなが足が立たなくなったり曲がったりする原因は換気不足飼料成分が適当でないこと一番恐ろしい白痢病で下痢をしてつぎつぎに倒れるのです。コクシジユームはふか後二週間位に血便してげりをして食欲がなく元気がなく羽を下げてうずくまって、ついに死んでしまう恐ろしい病気であります経験のない私には全く手のつけ様がありません。昨日は一羽今日二羽とつづけさまに七羽も倒れてしまいました。私は倒れたひなを見つめて泣く事さへありました。家族のものがわからない様にコッソリ一人で埋めてしまった事もあります。こんな事がある度事にもうやめてしまうかと幾度考えたか知れません。昔から養鶏は継続的に忍耐が必要だときかされましたが自分が経験して始めて分るくらいです。冬去れば春来らんのとおり四五ヶ月頃から小さな卵がごろごろと幾つもころがっているではありませんかその卵をみたときのうれしさは何ともたとえ様がありません。家中大喜びでした。これまで本当に無我夢中でした。一五○羽のひなから十羽か死んで七○羽は中ひなの時に一羽二○○円で売り農協から借りたお金も返しました。いままでは収支計算などしていられませんでした。ただこのひなをどうして死なさずに育てるかという事だけで精一ぱいでありました。卵を生み始めてから漸く収支の記録もとれる様になり現在は六○羽ひなの時一○羽死中ひなの場合七羽死に三羽廃鶏として処理しました。七○羽は中ひなの場合一羽二○○円で売りました。平均五○個を産んでいますので大きいのを一コ五円で未亡人家族に持っていって売っています一日平均四二個は必ず売るように心掛けています。選び残した小さいのは家計仕向として利用しています飼料は一俵を三日に使う様にして甘藷と野菜などは自家生産をしていますので餌代一俵二七○円ですから一日にして九○円卵を一日四二個売れば餌代差引いて九六円の利益で一ヶ月参千百八○円の収入がありますので大助りであります。卵を売る事には何一つ心配したことはありません。幸に近くに米人家庭がありますので契約して毎日持って行く事にしてあります。それから副産物としての鶏糞ですが一週間に一回は全部掃除していますがその役割は子供がしています。はたけに持ち出して乾燥して自分の家で買う肥料も買わずにすませ特にゴボウ苦瓜野菜には非常に効果のある肥料だと思います。作物の増収にも効果を上げています。それで養鶏に対するいろいろ注意もたくさんありますが私は鶏舎に気をつけて通風や日当りの良い処をえらばなくては産卵にえいきょうするので今までは古材料でかんたんに作ってありましたが特に沖縄は定期的に大風がやって来ますので卵をうみ始める頃から鶏舎に気をつけて鶏舎を新築しました。幸に豚舎はセメンコンクリートで作ってありますので其の上に鶏舎を作りました二階ですので風通しもよく南向きで日当りもよく雨風の場合も安心して飼う事ができます。鶏舎の坪数は五坪ですが新築するために鶏舎に壱万五千円入りましたバタリー式に作りました。でもどんな良い餌を与えてもどんな良い品種選んでも日常の管理が大切だと思いますもの云わぬ家畜にもの言わぬ言葉を聞きとって愛情を持って飼育することが大切だと思います。養鶏は老人や子供の協力が充分できますから主婦の副業としてはよい仕事であります。組合で集荷販売まで出来る様になればと希望を持っています。どうか皆さん私の発表で養鶏に対して少しでも参考になりますれば幸いだと思います。

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