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1959年1月発行 読谷村だより / 3頁

波平区畜産振興年次五ヶ年計画を省みて

波平区畜産振興年次五ヶ年計画を省て
新垣 秀吉

 我が波平畜産組合は一九四八年八月に結成されたが組織運営のまずさから、あまり活発な組合活動をすることが出来なかった。何故其の様になったか其の原因は斯である。組合共同の精神が貧しかった事疫病に狙害され飼育意欲が減退した事等斯様な原因によって組合活動も一時頓座の状態にあったが一九五三年十二月に畜産振興年次五ヶ年を樹立して(計画目標最終年次一千頭其の内繁殖豚一二○頭)特に零細農家に於ける換金物たる養豚業を計画目標として計画第一年次は防疫事業を重点目標に一般飼育者に対して防疫に関する理解を求めると共に豚舎消毒移出入等に留意し計画第二次は防疫事業を益々展開しながら一回目予防注射を実施した。
 其の結果は反応豚が多く出て一般飼育者より非難があり、其処置に苦心した事もあったが当時養豚業に最も熱意のある二四名のものが集り、語り合った結果養豚組合を結成し積極的に畜産振興計画の推進母体となって政府畜産課の専門家講義或は懇談会等を開催して一般畜産組合員の豚舎の消毒を毎月定期的に実施すると共に二回三回と予防注射を実施して、度を重ねる毎に一般飼育の防疫に対する理解と協力により計画三年次には完全に無病地区にする事が出来た。
 其処で計画四年次は地区外よりの移入禁止、繁殖豚奨励豚舎の改築等益々組合事業を展開する事が出来た。計画初年度の豚の数が四百頭内外であった頭数が計画最終年次一九五七年十二月には計画目標の一千頭をはるかに突破し其の内繁殖豚が百四○頭を数える事が出来た。
 其の蔭には養豚組合員二四名のたゆまざる努力があった事は忘れてはならないと思う。畜産振興年次五ヶ年計画の目標を達成する事が出来たが豚価下落の浮目に会って一時は又飼育意欲を狙害される様な事は無いかと思っていたが色々研究の結果豚価安定策の一環事業として今度畜産組合に於いては生産者自体の手で処理し一般消費者へのサービスも出来る事から精肉販売事業をやっているが、結果は生産者一般消費者からも好表を受けている。畜産組合の目的を達成するにはまだまだ道程が長い様である先づ家畜市場の設置屠場の設置獣医官一村一名の配置等斯した一環性のある畜産振興策がなされる事によって各区の畜産組合の目的も達成する事が出来るし、ひいては村の産業経済の発展もあり得ると思う。

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