読谷村史編集室 読谷村の出来事を調べる、読谷村広報データベース

1959年11月発行 読谷村だより / 1頁

私達の村の産業は 実態調査より 3

私達の村の産業は 
実態調査より 3 

 九月号より統計調査の結果として紹介致しておりますが本月号は農業の形態や規模について記したいと思います。
 戦前は純農村として甘蔗や甘藷で名を得たことは申すまでもありませんが、この純農村がどう変ったことだろうかを統計の上から調べてみましょう。
 戦前は総面積三二、七二七反の六○%にあたる一九、二六二反の耕作地を有し他村に比して広い耕地をもっていたが戦後は軍用地に七二%も接収され耕地は戦前の三○%五、八五七反しかのこっていない。
 経営規模別に見ると戦前でさえ五反未満が四八%を占め一戸当り六、七反程度であったから戦後は人口の増加、耕地の急激な減少に伴ってその変化は著しく一戸当りの耕作面積は一、九反と極度に零細化しました五○坪以上を農家と定義した農家戸数は二、八三四戸でその中五反未満が九五%も占め一〇反以上は僅かに九戸にすぎない、而も三反未満が八三%を占める零細規模で農業を営んでいる状態である。このような零細農業では家計を推持すること出来なく他の農業を副業としたのが数多く五○坪以上の農家二八三四戸に対し農業収入を主として生計を推持している農家は五一%一、四五八戸で農家であっても軍作業や他の仕事を主なる

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