読谷村史編集室 読谷村の出来事を調べる、読谷村広報データベース

1960年6月発行 読谷村だより / 3頁

みんなでやる生活改善

みんなでやる生活改善 
宮良生活改良普及員 
生活改善はなぜできないか 
生きているだけの生活 
慢性的生活不感症-何がそうさせたか

 ヨーロッパやアメリカ人の家庭では、毎日の生活を楽しくするために、ずいぶん努力しますが、日本、沖縄では、生活のことは考えられているようで、わりあい考えられていません。農村の生活改善は戦後やがましくいわれるようになりましたが、それでもなお大部分の人々はきわめて冷談で、たとえば
「生活を改善して、みんながもっと楽しく暮らすようにしましょう」などとすすめられたとき、「三十年も四十年も、こうして暮らしてきたんだ今さら何の不足があってこれを改めるんだ」とか、「生活改善は金のある人のやることだ、うちのような貧乏人のやることじゃない」などという人がありはしないでしょうか、生活改善を寝言ぐらいにしか考えていないのです。
「台所をもっと明るく便利にしましょう」というと、老人たちは、「ゼイタクだ」といいます。そして、「いまの若いものは、怠けることばかり考えている」と云ってしかります。なんでも「体をつかって、働いておりさえすればよい」との考え方が多いようである。働くことはもちろん大切ですが、能率よく働いて、あとは適度に、体の休養をはかり、みんなが朗らかに、楽しく暮らすということは、ちっとも考えていないようで、ただがむしゃらに働くだけである。これでは、牛や、馬など家畜の生活とちっとも変わらないではありませんか。そこには動物的な”生存”はあるかも知れないが、人間的な”生活”はありません。生活がないから生活を楽しむことを知らないのだと思う。もっともながい間、貧乏に苦しめられてきた農家の人々にとっては、生きることが精いっぱいで、生活を楽しむ余裕などはなかったかも知れませんが、しかし、農民をこのような貧乏に追いこんでいたものは、いったいだれの罪であったでしょうか。それは、「百姓を殺さぬよう、生かさぬよう治めることが肝要だ」(徳川家康の訓戒といわれる言葉)と云う封建的な政治の罪であり、民衆に生活の喜びを知らせなかったのもまた、封建的時代の政治がそうさせたのであります。
だから、生活の喜びを知らしめなかった民衆は、その後、経済的なゆとりができたのちにおいてもなお、生活に対しては無関心で、いわば慢性的な生活不感症の患者になってしまっただろうとおもいます。このような農家の人々を自分たちの生活を楽しむということについて不感症にしてしまったものは、ながい間の封建的な政治であったのでありますが、今なお、みんなを生活改善に対して無関心にしているものもまた、この封建的な遺物と現在政治の貧因ではないかとおもいます。すなわち、農村の生活改善がなかなか進まない原因は、
1、封建的な因習
2、政治の貧因
にあるのではないかと考えられます。もともと、人生を楽しく暮らしたいということは、人間の心の要求であろうとおもいます。それなのにこれについて無関心で、これを求めようとしな

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