読谷村史編集室 読谷村の出来事を調べる、読谷村広報データベース

1960年11月発行 読谷村だより / 4頁

みんなで生活改善をやる(五)

みんなで生活改善をやる(五)

 ふつう生活改善は、お金さえあればできると安易に考えられているようですが、実際はむしろ反対で、豊かな村、平穏無事のときには、なかなかやりにくいものです。これまでの生活の習慣を変えたり、改善したりすることは、おっくうです。そんなことをしなくとも、毎日のことは足りているから、まだまだ真剣味が足りません。又経済的に恵まれた地方の人々は利己的で、小賢こすぎて、みんなの協同ができず、なかなか話しがまとまりにくいもので、人の云うことを素直にうけいれません。台所改善でもお金に余裕があるから、すぐ見栄が気にかかり、隣の家に負けたくないという競争になってしまいます。改善は誰のためにするかという真意義が素直に頭へのみこめず、改善の目標が見失われているのです。これにくらべると、山間地帯などの貧しい農村では真剣で、このままいけば、みんなゆきづまって首をくくって死ぬよりほかない。だから生活改善でも真剣になるのです。貧しさという一つの苦しみが、これを打開しようという努力(抵抗力)を生み、これが生活改善へのよいきっかけとなるのであります。
 次の言葉は常に述べているので、クドクドしいようですが、お金の余裕があるから生活改善が出来ると考えるのは、机上の想像であって、わたくしは、むしろ貧しい、そして、不健全だからこそ、改善ができやすいと考えています。

ものの見方について
 見学にいく前にまず考えること-何の目的で何を見るか-自分の立ち場から他をはかっては真実はわからない-理想的なのはどこにもない-

-見学の着眼点。
生活ということに、無関心な人々に、改善しようとする気持ちを起さすには、実際に改善した村を見せ、その喜びを直接聞くのが、いちばんよい方法であります。
 しかしこれをただ漫然と見聞しただけでは効果がうすいし、ときには逆効果になることさえあります。たとえば台所改善の見学に行った人々が帰って来てからの感想をきくと、「あんなゼイタクなことは、私たちにはとてもまねが出来ない。もう台所改善は止めた。」
「台所改善は、お金さえあれば誰でもできる。」
「台所改善といから、もう少し、りっぱになっているかと思って行ってみたら、カマドが新しく出来ているだけじゃないか。」
というような批評をよく聞きます。これでは見学は、なんの効果もありません。そこで見学のしかたについて、もっとよく考えなければならぬ必要を感ずるのであります。
 いったい、ものを見るには、それを見るみかたがあります。さきほどの批評をする人々は、見学の目的と、見学地の選定について、事前の検討が足りないし、ものの見かたを知らないから、せっかく見学に行っても、あき盲人と同じで、ものの正体がつかめないのであります。
 改善した村の人々は、よその人に見てもらうために改善したのではありません。自分の資力に応じて、自分が住むために改善したのであって、だからゼイタクか、ゼイタクでないかはその人の資力や考えによることで、よその人には関係のないことであります。それを見学にいった人々が、いつも自分の立場からばかりものを考え、自分の物さしにあわせてよそのものをはかろうとするから、ピントのあわぬ近眼の眼鏡でものを見るように、ピンボケしてしまって、ものの本体がわからぬのです。また「金さえあれば」というがお金があったら果してやる人は、幾人だろうか、お金がたまったら欲が深くなって、金を使うのが惜しくなるのではないでしょうか。改善した人々の多くは、お金のないところを、アレコレと算段し、苦労をしてやったのであり、決してお金の余裕があってやったのではない。という点をよくみて来なければなんにもなりません。「かまどを直しただけじゃないか」という批評も「いったいあなたは何をみようとして出かけたのですか」と、反問したいのです。ここではお金がなくて、一度に改善ができないから何年かの計画で、一つずつやっているのです。その苦心の過程を見学しなければならないし、その点について学ぶべきものがたくさんあるのではないでしょうか。見学に行った人々の結果は、以上述べたように、せっかく見学に行ったのに、その目的を達せず、ウヤムヤに終っている場合が多いようです。見学は結構だが、その方法が悪いと、効果はあがりません。そこで以下見学するものの見方、見学する場合の注意を述べましょう。
1 自分たちは、一体何の目的で何を見にいくのか。
2 その改善を今実行しようとするのか(現実の問題として)あるいは、将来実行したいのか(将来の希望として)ということであります。台所改善について見学先を選ぶ場合の基本的な考え方を例によって示すと、
(イ) 貧しい農家の人々が、これから台所改善をしようという場合(現実の問題として)どんなところを選ぶかというと、個人がお金をかけて改善したようなところでなく、村、あるいは部落を単位として、あまり豊かでない大ぜいの人々が、みんな協同してやりとげたところを見にいくのがよいとおもいます。お金のない中を、みんなが力を合わせて、どんなに工面してやったかを、よくみてくるのがよいとおもいます。
(ロ) 台所の改善の必要なことがわかって、いよいよこれからやろうという人は、とりかかる前に、もう一度少し経費をかけたりっぱな設備の台所をみておくとよいとおもいます。この場合は、個人がやった改善でさしつかえありません。もちろん、それを全部マネるわけではありませんが、それによって美しく、よい台所の設備とは、どんなものかということを知り、”目を肥やして”おくのであります。
 何ごとによらず、わたくしたちが向上するためには、いつもよいのをみて、刺激をうけること”目を肥やして”おくことが大切であります。
(つづく)

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