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1965年9月発行 読谷村だより / 4頁

生徒の非行をどう思うか

生徒の非行をどう思うか
 ぼくは、不良と呼ばれる人々は自分から好きでなるのではないと思う。たとえば、三年生に呼ばれてなぐられた。うんと強くなぐられると「よし、ぼくも三年生になったら、しかえしをしてやるんだ。」といつまでも心に残っているのだと思う。そうなると、服装や帽子なども皆と同じようにしたくなくなる。自分は強いんだという気持ちをもってズボンや帽子にかたをつけたりするようになる。
そして、自分が悪いことをしてなぐられても、平気な顔をする。なぐられたあとで「畜生」という気持ちをもつ、こうしてだんだん仲間から離れて行く。それがたまたま同じ気持ちで似た原因を持った友達にぶつかるとグループを作りあげ、互に共鳴し合って団結してしまう。そのグループでの話し合いは自然と悪いことの方に傾き、集団意識でもってだんだん平気になって行くのだ。
しかし、そうしたグループの中にも、時々良心が自覚め、「これではいけない、みんなに非行少年といわれても、ほんとうはそうではない。どんなに言われてもかまわないで強くなろう。」と考えたり、小学校の時は楽しい遊び仲間だった人々を見るにつけ、たまらなく孤独感におそわれたりすると思う。
彼等は、強うそうにかまえてふてくされた態度をするけども、実は意志の弱い、かわいそうな人達だ、ぼくもよく経験するのだが、話し相手や遊び相手がなくなった時の孤独感から、ついいやな気持ちになり、勉強も手につかず「誰かぼくを見てくれないかなあ」と思ったり、エイクソ!というすてばちな気持ちになるが、また思いなおしたりしている。今の年頃は、一番感じやすいため、友達がいなくてさびしくなった気の弱い人達が、いつのまにか集まって、授業中も後ろに固まって話し合う。それが、だんだんひどくなり、校外外出にもなるし、またそのさびしさをまぎらわすために、わざと人目を引く暴力行為をするのだと思う。
それから、そのような人達の家庭にも問題があるのではないだろうか。両親の子供の扱い方はどうだろうか。小さい時にはかわいがり過ぎて我がままにしてしまい、大きくなると、勉強している時でも自分の都合でいろんな仕事を言いつける。そんな時、大体の人は勉強を捨ててしまう。家庭での親に対する反抗はそういうことから始まるのだと思う。だんだん月日がたつと学校だけで勉強しては間に合わななくなり、三年になってしまうと、「もうだめだ」と考え、やる気持ちが出ないという人達も多いのではないだろうか。(中学生非行特集より)

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