読谷村史編集室 読谷村の出来事を調べる、読谷村広報データベース

1965年9月発行 読谷村だより / 4頁

徴税雑感

徴税雑感
 従来、読谷村は行政管理上最も統治し易く、村民は温順素朴で、和を重んじ、所謂、模範的、理想的な村と見なされて来た。
毎年の税金納付率も、九十九パーセントを上下するのである。実際に読谷村内に住む納税者の納付率は殆んど百パーセントに近く、それが九十八パーセントまで下るのは村外居住者の納付率が香しくない故であった。
村外居住者の納付率を高めようと、八月二七日から三一日まで、村税を滞納する村外居住者からの微税行脚に出たのであるが、この行脚を通じて、私は自分の村の村民がいかに協力的で素晴らしいかを述べてみたい、私とK君は先ず、納税者(滞納者)の住所、氏名、その他の資料を袋につめ、近くの嘉手納村から手をつけた。村内なら隅の隅まで知りつくしていると自負する私達も、いざ隣村の嘉手納の行政区画は皆目見当もつかぬので嘉手納村の職員から三十余件に亘る滞納者の住所を一応確認して貰った。しかし、帳簿上の住所通りうまく住所をつきとめ得たのは、せいせい五、六件で、大半は「犬も歩けば棒に当る」と云う諺の通り、あの店やこの店で尋ね、犬に吠えられ、猫に睨まれ、やっと探し当てた家は、微税員と知ると居留守をよそおい、小さな応待者は「カーチャンは洗濯しておりますが、おりません」とあたかも自信ありげに応待するので、母親は赤面しながら、金の都合がつかずウロウロ恐縮して頭をすりつけるのみ、しかし一つ二つ例をあげると、古堅に米軍向貸住宅を持つH家は門構えも、素晴らしく、表からも裏からも相当の資産を持っていると解る家でK君と私は、成績が上るぞと内心喜んで令書を差しだすと、とたん!!稲妻のごとく!!「月末で金がない」と方言でどなる、お婆ちゃん、一時間近くも方言問答を繰り返して、やっと微収し得たのは四十ドルの滞納額のうち四分の一に当る十ドルとは・・・・・・しかもこちらは十回近くも畳に頭をすりつけんばかりに願った後である。この十ドルは二人のオジキ代だと笑いながら焼けつくような道を千貫田迄足を伸す。次のBさんの家はすぐ見つけたが、お金は主人が肌身離さず持ち歩き不在、それ程の額もなければ、隣近所から借りて来てはと提案も、二言もなく断る始末、半時間近くも、納税について説き伏せても、結局一仙も貰えず、八つ当たりしたいのを、おさえて、八月三十一日までに納付する約束を得るだけ次のC家は尋ねること五-六回、やっと探しあてれば、なんと同姓同名の人違い、本当のCさんは裏の山手に住んでいるとの事、アーナムアミダブツ・・・・・・乗りかけた船だ、と互いに励ましながらCさんを尋ねる、その家たるや金に見放されたような、アバラ家、出てきた人は七十才余りの老婆と子供、しかも「お父ー」が病気で日々の生活にもことかくとの事で読谷の軍用地料が払われる迄待ってくれと拝むような哀願いには、こちらもついホロリ、かかる人達から微税しなければならぬとは微税員の哀感ひとしきりであった。
二日目はコザ市、三日目は石川と、続いたが、大同小異、徴税の難しさ。苦しさを充分味わいました。この三日間の徴税行脚を通して、私は読谷の村民が競って納税して下さる事に感謝し「スバラシー」村民の公僕である事に誇りを感じ、たとい読谷がミサイルで攻撃されても逃げはせぬと決意を固めたのである。
財政課 池原伝盛

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