随想 ふるさと礼賛
「ふるさとは、遠きにありておもうもの」とは室生犀星の一節であり、若くして逝った石川啄木はまた、「ふるさとの山に向いて言うことなし、ふるさとの山はありがたきかな」と詠んだそれぞれに異なったニュアンスの詠嘆てあるが近代日本文学史にすぐれた遺産を残した二人の偉材の詩歌は、時流れ星は移っても色あせるどころか、私のなかでますます光彩を増していくようである。人生長い航路の途中ふと立ちどまって自らの過去、現在、未来を思う精神の営みはだれしも経験する。つれづれの追憶によみがえる望郷の歌は万人の共感をくすぐり、それは長幼の序列を越えて人々の心を洗ってくれる。偉大なるかな、ふるさと、追慕の情汲めども尽きぬふるさと、母の懐と、ふるさとは、人の魂の拠りどころであり、どんな哲人、豪傑も、ふるさとに向かうとき挙飾の衣をぬぎ捨て、己れを謙虚にするという。旅にあって心屈する日、あるいは童心に帰って気の安らぐとき、折に触れて思われるのはふるさとであり、生を享け生を閉じるまで人はいかなる境地にあろうとも、ふるさととの血と土のあたたかさへのノスタルジアを断ち切れるものではない。小稿のペンを執りながら今、私の回想は甘酷っぱく過ぎし日へいざなってくれるのである。私は幼年期から少年期へかけて、人間形成の一時期を読谷村で過ごした。
はっきり申せば十一才、終戦の年の夏まで私の幼ない日々はご当地とともにあった水清く人情こまやか、赤犬子と護佐丸と吉屋チル女など沖縄の歴史に登場する人物と由緒も深い淳朴な平和境で春秋の夢をはぐくみ、成長の糧を得てきたことを私はこよなき幸わせと思っている勤勉で篤実、農業を愛し子弟の教育に熱心な読谷の人々の穏和な村民性に私は尊敬の念をおしまない。
戦争と運命のいたずらさえなければ私も二万二千村民の一人として皆さんとともに愛郷の情熱を燃やし、復帰前夜の豊かな郷村づくりに相携わってゆけたものを、と思い残念でならない。去る大戦はこの島を焼上と化さしめ、人々にさまざまな形の悲劇をもたらしたが私とて被害の例外者ではあり得なかった。
米軍上陸の廃墟の中で、生命の証を確かめるいとまもなく後髪引かれる思いで住みなれたご当地と訣別した。爾来二十五年、私は名護市の片田舎にすっかり根をおろしてしまった。しかし読谷村は終生、私のふるさとである。読谷の便りはご恵贈の広報「よみたん」をはじめ中央の新聞によって伝え聞くが、春夏秋冬の郷村の息吹きに接するにつけ、いよいよ私の愛着心はつのるばかり残波岬の潮騒と四季おりおりの風の音は今も私の耳鼻を愛撫し、年終るにつれて心の中のふるさとはイメージも鮮明にし、その姿をととのえて行くのである。今の私の所在から読谷まで車でおよそ一時間半、交通の便も発達して距離的にはタバコ一本喫するだけの近きにあるが、そう頻繁に往還を許される立場になく、それゆえにたまたま訪れて読谷の土地を踏むとき、足下から全身へ地のぬくもりがかけぬける心地がする。かって童心を遊ばせたあの山、この川がほうふっとしてまぶたの裏を去来し竹馬の友の消息を聞くさえ懐かしい。
多幸山の山懐に抱かれ、西方に東支那海を眺望する読谷村は昔からイモとキビと家畜の特産地・なかでもこの地の産するイモは沖縄一の名をとどとかせ、各地の農産品が集散する那覇で読谷山イモといえば価格の面で常に他産品をリードしていた。そのイモも戦後生活の向上にともない食卓からすっかり影をひそめてしまったが、それを常食として成長した私は、炊きたての湯気だつイモの味を忘れることができない。
村人の夏をいろどり、冬を楽しませた行事のうち、旧暦七月ごろに行なわれた各字の芝居は心わくわくするような催しだった。盆が近づきひと月も前からけいこを重ねた芝居の、三味や太鼓のはやしが本物になる頃は子供たちにとって一番うれしい季節。指折りかぞえて待ち幕開け前日ともなると家庭の子供たちはこぞって芝居の場所取りに散じるならわしだった。クイと繩を手に歓声をあげながらかこうの席を構える。もっとも観やすい場所を確保せんものと先をきそったこともなつかしく、時に場所の奪い合いから泣かせたり泣かされたり、他愛ない一幕もみられたものだ。
当日をむかえると母親たちはごちそうをはずみ、一日の鍬を休めてみんなが芝居見物に興じた。露天の見物席は近隣部落の人々も加わってにぎわい、タイマツやランプの灯りは夏の夜空をいつまでも真っ赤に染めていたのが印象深い。
スイチを押せば漫画や歌謡曲がパッと飛び出すテレビで育つ現代っ子たちには味わえないロマンの世界が昭和の二ケタ初め頃まであった私の脳裏を走馬灯のごとくかけめぐるのは、今は滅びてしまった綱引きであり棒術であり、カタノ原のいわゆる馬ハラヤー等々、風土の生んだ祭りごとである。
さて「基地の中の沖縄」と言われつづけて二十六年村面積の八〇%を軍用地にまきあげられたご当地はもっとも深刻に沖縄の悩みを象徴された村。よくぞここまで発展された原動力はねばり強い読谷魂の結束にあり感嘆久しくするものであるが復帰を控えて世上、不安と動揺もうかがわれる節柄この秋こそ読谷魂の真骨頂を発揮される好機かと思う村民各位におかれても各人各様のプリズムを通して世代りの一転機を展望されていることを推察する。挙村一致の体制がはやばやと磯野繊維工場の誘致を決定された進取の姿勢を今後に持続されたい。
残波岬の岩に砕ける波濤のごとく勇荘にして覇気盛んな人材を輩出し、次代の県知事も読谷村から出でしむべし、かくて私の読谷村への期待と祈りは尽きない。