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1971年7月発行 広報よみたん / 6頁

忘れない「宗一は死んだ」 山内徳信

忘れない
「宗一は死んだ」  ウザ区民合同慰霊祭にて 山内徳信
六月二十三日 慰霊の日
六月二十三日 反戦平和の日
二十五年前のこの日
美しかった島の平和は
悲痛な悔恨と苦悩の叫びにかわった
父を 母を 夫を 妻を
子を 友を亡くした人々
区民合同慰霊祭へ急ぐ
「東洋平和」のためと教えられ
天皇陛下のためと死んでいった
戦争とは一体何であったのか!!
戦いの中を生きのびた老婆の顔
戦いの中を生きのびた老爺の顔
暗く 不幸を背負った顔
悲惨な歴史の足跡が刻まれた顔
死んでいった者が残したものは何か!!
敬虎な読経が長々とつづく
それは生き残った者への慰めか
空しく宙に消えてゆく
沖縄には戦争の尊い遺産がある
「ひめゆりの塔」「健児の塔」
区民にはそれよりももっと身近な遺産がある
それはヤーガーの犠牲だ
米軍の爆撃で大勢の人が死んだ
ヤーガーという洞窟の中で
同級生の「重男」も死んだ
先輩の「宗一」もそこで死んだ
「宗一」は爆弾でとばされた
岩の下で四日間も生きていた
それは人の力ではあまりにも大きかった
「宗一」は くりかえしくりかえし
童謡をうたい 唱歌を歌いつづけた
重い岩の下で 力一杯もがき
戦争をのろい 救いを求めつつ
十三才で死んでいった
悪夢の記憶が忘れられつつあるいま
生き残った人々は
何をすればいいのか!!
死んでいった人々には
もはや口はない
死んでいった人々には
もはや訴える術はない
再び歩み始めた軍国主義の魔手に
だまされないため
生き残ったわれわれは
何をすればいいのか
戦争から学んだ三つの苦い記憶
それを忘れない!!
 だれが戦争を始めるのか
 だれが戦争で得するのか
 だれが戦争の犠牲になるのか
この貴重な体験を子どもたちに
遺産として伝えよう
真の平和への道を足もとから
ひろめよう。

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