読谷村史編集室 読谷村の出来事を調べる、読谷村広報データベース

1975年2月発行 広報よみたん / 2頁

再燃するアスファルト問題 今度は牧原に工場建設 アスファルト工事建設現場見取図 アスファルト工場建設に反対し、工事着工に関する決議

再燃するアスファルト問題 今度は牧原に工場建設
 昨年村政を大きな混乱にまき込んだアスファルト問題が、再び村内牧原の軍用地内に工場建設が着工され大きな問題をなげかけている。
 このことは、去る一月二十八日、南部国道事務所用地課長等が来村し、牧原にアスファルト工場建設工事着工の知らせを受けたのがことのはじまり。
 村当局では、さっそく工事現場の確認をすると共に工事現場、日本道路株式会社沖縄営業所、防衛庁、総合事務局、南部国道事務所を訪問し、アスファルト工場建設に反対し、工事着工に関する抗議文を手交し、これまでの経過を調べた。
 それによると、昨年地域住民から猛反対をうけ都屋採石場跡へのアスファルト工場建設を断念した日本道路株式会社は再び本村親志原に進出のうかがいをたてた。しかし、同地域は弾薬庫の保安距離の関係で米軍は拒否したが牧原ならずばよいとのことで一月十六日の日米合同委で正式に承認されたとのことである。
 使用形式は、「民公有財産一時使用承認書」で日米共同使用の形をとり、使用期限は昭和五〇年七月三十一日となっている。
 問題となっているアスファルト工場現場は、国道五八号線牧原入口より一、〇〇〇メートル地点の軍用地内で、そこには、米軍消防隊、モータープール、犬訓練所等が混在し、アスファルト工場現場は、モータープールと犬訓練所の中間に五、八〇五平方メートルの敷地を確保し、去る一月二十八日から工事は着工されている。アスファルト工場建設に反対する村民の声は強く、去る二月一日伊良皆区、比謝区、大湾区、比謝橋区の住民代表の連名で「アスファルト工場建設に反対する陳述書」が提出された。村議会でも去る二月八日に始まった臨時議会で同問題が取あげられ、アスファルト工場建設に反対する陳情を全員一致で採択した。

〔写真〕「建設のはじまったアスファルト工場」原本参照

※「アスファルト工事建設現場見取図」については、原本参照。

アスファルト工場建設に反対し、工事着工に関する決議
 アスファルト工場建設問題は、読谷村民にとって極めて重大な問題であり、読谷村並びに読谷村議会は村民の意志を代表し再び関係当局に強く訴えます。
 昭和48年12月日本道路株式会社は、当初読谷村字座喜味石廻原(通称都屋)にアスファルト工場の建設を計画、それをめぐって昭和49年度前半の読谷村は、村政史上かつてない大混乱に陥った。
 日本道路株式会社は都屋への工場建設行為をめぐって、読谷村政を混乱させたことへの反省もなく利潤追求のみを優先する企業の本質をまる出しにして、昭和49年9月再び読谷村内親志原の軍用地内に工場建設を予定してきたが、読谷村は予定場所が嘉手納弾薬庫地区で火気厳禁の地域であり、又軍用地がその目的以外に利用されることは重要な問題であり村政を混乱状態に陥しれたアスファルト工場を読谷村内に認めるわけにはいかないと村議会でも確認をし関係機関に要請した結果、その計画は中止となった。
 ところが、今度は国と企業(日道)が一体になり三度読谷村内牧原地内に国家という権力を全面に出し企業を擁護する形で工場を着工したことに対し、村民はいきどおりを感じ村民を不安におとしいれるアスファルト工場を容認することは出来ない。
 今回のやり方は、まさに国家権力による村民の声を抑圧するものであり、治外法権的な基地内に逃げこみ、日米共同使用という形で法網を巧みに利用し。読谷村のこれまで続けてきた反対要請の意志を全く無視するものであり、怒りをこめて抗議する。
 昭和50年2月10日、読谷村は臨時議会において「アスファルト工場の建設に反対する」ことを決定した。読谷村並に読谷村議会は、この決定にもとづき読谷村牧原地内へのアスファルト工場建設の即時中止を要請し工事着工に対し厳重に抗議する。  昭和50年2月13日
  殿
沖縄県読谷村議会 議長 新垣秀吉
沖縄県読谷村 村長 山内徳信

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