読谷村史編集室 読谷村の出来事を調べる、読谷村広報データベース

1979年12月発行 広報よみたん / 3頁

米軍落下傘降下訓練抗議村民総決起大会 演習阻止!もう我慢の潮どき雨・寒風吹きすさぶ中一千人余りが総結集

米軍落下傘降下訓練抗議村民総決起大会 演習阻止!もう我慢の潮どき 雨・寒風吹きすさぶ中一千人余りが総結集
 「二度とくり返すな過去の忌まわしい事故を」「村民の生命と財産は自らの手で守ろう」-燃えさかる村民の怒りの輪は幾重にも広がっていった。十三日は午後五時三〇分から村民運動広場横で村内の各種組織、各種団体十六団体を網羅しての「米軍落下傘降下演習事故に対する抗議並びに演習場の撤去を要求する村民総決起大会」が開かれた。この日は、今年一番の冷え込み、時おり小雨もパラつき十五メートル内外の強い北風が吹きさぶ中の悪天候下で開かれた。それでも一千名余りの村民が結集。防寒具に身を固め、怒りを込めたプラカードを握りしめ「悪夢をくり返すな」「米軍降下演習阻止」と全身に怒りをこめ、身じろぎすることなく経過の報告や意見発表に真剣な表情で聴き入っていた。また、壇上には落下物パラシュートや金属塊も展示、強風にあおられて左右に大きく揺れ動くパラシュートに改めて事故の恐ろしさをかみしめた。
 大会は、まず池原恒徳収入役の開会宣言で始まり、引き続き安田慶造助役から一連の事故に関する報告があった。そのあと山内徳信村長(村民総決起大会実行委員長)が壇上にたち、満面怒りに満ちた鋭い口調で「もはや自からの生命、財産は自らの手で守らねばならない時が来た。これまで役場に通報された落下事故は十数回を数え、今度の事故も予想されたことである。その状態がこれ以上続けば、第二の悲惨な事故をひきおこしかねない。私たちは十四年前に起きたトレーラー落下による棚原隆子ちゃん圧殺事件の教訓を無にしてはならない。当時十〇歳というかわいいざかりの隆子ちゃんは落下して来るトレーラーを目撃し、母親の身を案じて『アブナ~イ逃げテ~トレーラーが落ちてくる』と叫び、逃げまどう隆子ちゃんの上にトレーラーは落下、隆子ちゃんは無残に圧殺された。余りにも無惨・残忍な仕打ちである。今、隆子ちゃんが生きているのなら立派に成人し、お嫁さんになっている年ごろの娘さんになっていたはず。あの忌まわしい事件を私たちは忘れてはならない。今、まさにその二の舞が起きようとしている。私たちは自からの生命と財産は自からの手で守らねばならない。村民が団結するのであれば何ごとたりとも恐れることはない。米軍は強行な姿勢を取りつづけており、今後続けられるとするのであれば、我々村民は一致団結して事に対処しなければならない。その中で米軍による旧読谷飛行場内での降下演習阻止・基地撤去まで闘い抜かねばならない」と力強く訴えあいさつをした。
 このあと、村議会・区長会・地域住民・労働組合・学校・老人会・婦人会・青年会の各代表が演壇にたち力強く決意表明「悪婆をくり返すな」「平和だという時代にまるで戦場だ」「演習阻止・基地撤去もうそれしか方法はない」と口々に激しい怒りの声を震わせていた。また、「米軍落下傘降下演習事故に対する抗議並びに演習場の撤去を要求する決議」を全会一致で採択し午後八時前に散会した。
 一方、米軍側はこの日の演習を強行するかに見せたが天候不順にことつけ、演習中止を発表。村民総決起大会の前に屈した格好になり、大会が開かれているさ中を引き揚げていった。

※写真「もう許せん!絶対に許さんゾ!たびかさなるパラシュート落下事故は村民の怒りを爆発させた。今度の落下事故を機に米軍落下傘降下訓練抗議村民総決起大会は村民怒りの炎となってもえ盛った。」は原本参照

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