演習場撤去まで団結! 実力阻止に血色を失す米兵
午前九時十五分、嘉手納飛行場から発進したOV10ブロンコ機は残波岬寄りの西の海上から阻止団が結集する上空に急進入、ブ~ンと鈍い音を立て急上昇、とたん三人の降下兵のパラシュートが大空に開いた。阻止団をあざ笑うかのような米軍の演習強行に「もう許せん!絶対に許さんゾ!」阻止団の怒りは猛爆発、落下地点を目標に猛驀進していった。米兵の着地点は目標から数百メートルも離れたきび畑のど真中、きびは無残にもへし折られていた。阻止団は大動団結、沈着な抗議行動を展開しその精神的な打撃を与える行動は逆に米兵を震えあがらせた。それぞれの降下兵は抗議団の沈着な行動に血色を失し、ただ震えるだけだった。阻止団の中には七〇歳を越す老人も多く「平和、平和だというのにこれではまるで戦場だ!」と唇を震わせ怒りの声を震わせていた。
「暁の阻止行動」となった二〇日は、東の空が白みはじめた午前六時頃から山内村長を先頭に五〇〇名余りの阻止団が続々と集結をした。六日の事故発生以来、村当局はじめ関係機関の強い抗議と中止要請にもかかわらず、在沖米海兵隊は堅くなに”演習強行”の姿勢をとってきた。米軍側は阻止団が陣取る飛行場南側入口に定刻の午前七時三〇分到着、現場は重苦しい雰囲気に包まれた。その中で山内村長、新垣村議会議長、那覇防衛施設局飯村次長、鈴木施設部長、それに在沖米海兵隊基地司令部の訓練部長ハウズ大佐を交え、演習中止の交渉。激しく訓練中止を迫る山内村長等にハウズ訓練部長は盛んにパイプをふかし、中止要請をあざ笑う仕種で演習強行の態度をとり続けていた-。
その一瞬、はるか上空を見あげると、三個の落下傘が開き降下して来た。「もはやそれまで交渉の余地なし、実力行使、米兵を逃がすな!」-口々に怒りを叫ぶ阻止団は無我夢中で着地点へ突進していった。着地現場は一時騒然、緊迫したが、冷静さを失わない阻止団の沈着な行動は、逆に米兵を震えあがらせ、この日、十二名を降下させる予定の演習は一回で「中止」へと追い込み米兵を引き揚げさせた。
そのあと、阻止団は集結現場で総括集会を開き「演習場撤去まで闘い抜こう」と決意表明が続いた。最後に山内村長が「演習場撤去まで団結ガンバロー」と音頭をとって三唱、午前十一時すぎ散会した。