読谷村史編集室 読谷村の出来事を調べる、読谷村広報データベース

1984年4月発行 広報よみたん / 2頁

人間として生きぬき平和にくらすために 4たび声高く内外に「平和宣言」 はじめに

人間として生きぬき平和にくらすために 4たび声高く内外に「平和宣言」
 村議会の第一二八回議会定例会は去る三月十二日開会、今議会には当局から昭和五九年度一般会計予算案はじめ、多くの議案が提案されました。三月議会定例会は通称、予算議会とも呼び、四月一日から執行する昭和五九年度予算について審議するのが主。なかでも新年度予算成否の重要な力ギを握る「施政方針」は最も重要なもの。山内徳信村長は議会の冒頭、三十一頁からなる昭和五九年度施政方針の演説を行い、議員各位の協力を求めました。
 私たち村民にとって、村政を知り村政の方向性をもつ「施政方針」はとかく関心を呼ぶものです。広報よみたんでは山内村政の「昭和五九年度施政方針」を広く村民に知らせし、ご理解ご協力を賜りたく、施政方針その全文を、八頁にわたり特集ページを組みました。

はじめに
 本日ここに、第一二八回読谷村議会定例会の開会にあたり、昭和五九年度の予算案をはじめ諸議案の説明に先立ち、村政に関する基本的姿勢と所信の表明を行い、議員各位並びに村民の御理解と御協力をお願い申し上げる次第であります。
 さて、沖縄県は、今年は、沖縄振興開発特別措置法に基づき、第二次沖縄振興開発計画の三年目に入ります。
 読谷村は、特別措置法を十分に活用しつつ、同時に読谷の持つ地域特性を生かした村政を基本に、清新活力ある村づくりを目指し、諸施策の展開に全力をつくす考えであります。
 今年は、沖縄県民が悲惨な沖縄戦「鉄の暴風」を体験して以来三九年目になります。米軍支配を断ち、日本復帰をし、再生沖縄県が誕生して十二年目を迎えることになりました。
 復帰後の十年余の歩みを静かに顧み、それをふまえた上、地域の個性と活力を生かすべく、村づくりを志向し展開してまいります。
 戦後も既に四〇年近くなりました。その間、沖縄県民が一貫して求めてまいりました運動は、平和憲法の理念の実現でありました。その具体的な動きが「日本復帰の運動」、「人権を守る闘い」、「民主教育を守る闘い」、「反戦平和の闘い、反基地、反自衛隊」、「反核」等々の運動であります。更に、県内における毎年行われている戦没者遺骨の発掘作業、本村における波平チビチリガマの集団自決の問題や中国残留日本人孤児の肉親さがしなど、正に戦争の悲惨さと残酷さを事実をもって私達につきつけており、何万言の言葉をもってしてもそれを否定したりおおいかくすことは出来ないのであります。
 今生きている世代の中に「広島」、「長崎」、「ビキニ」等、人類最初の核兵器の犠牲者、被爆者がいるのであり、その体験を二〇世紀後半の人間が後世に「再びあらしめてはいけない尊い教訓」として遺す責任があるのであります。
 われわれ沖縄県民は、公私を問わず、日々の生活に忙殺され、静かに過去をふりかえり、明日を語るいとまさえない状況の中で、せめて年一度、あらためて沖縄の歴史の過去を顧み、現在を正しく認識し、それをふまえて将来を語り、展望を切り開くことは極めて重要なことであります。
 沖縄の近世、近代、現代の歴史は、県民主体の歴史ではなく、たえず外圧によって県民が抑圧され、苦悩と犠牲を強いられてきた歴史であります。沖縄が政治的、軍事的側面からのみ位置づけられ、利用される時代は「沖縄県民が最も不幸な時代」と言わなければなりません。
 現在、日本全国の米軍基地のおよそ半分は沖縄県に集中し、県民の上に重くのしかかっているのであります。その結果は、基地公害、演習被害が依然としてつづいており、県民生活や県土を破壊しつづけているのが現状であります。安保条約や地位協定が、沖縄県民の生活権、幸福権、環境権より優先されることがあってはいけないのであります。最近のトリイ通信施設内における地域住民を排除した米軍専用のビーチづくりはその一例であります。
 最近の超大国の核戦略による、核広域配置競争は、

※写真「施政方針を説明する山内徳信村長」は原本参照

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