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テナ設置工事は中止となり、代って念願であった村民運動広場が設置された(昭和五十三年、日米共同使用)。
(3)パラシュート落下事故紛争
こうした経過の中で、再びパラシュートの落下事故(昭和五十四年)が発生した。住民地域への落下事故であったために、村ぐるみの激しい抗議行動に発展し、米兵と衝突するまでに至った。
(4)訓練場移設
この衝突は国会においても問題とされ、日本政府の訓練場移設方針が日米合同委員会へ提出された(昭和五十五年)。その後、昭和五十七年より移設調査が開始され、現在移設に向けての調査作業が継続されている。
四、特異な黙認耕作
読谷飛行場用地の大半は、いわゆる黙認耕作地であり、復帰前の米軍布令二〇号によって「賃借権の取得について」等の沖縄における米軍基地の特殊な経緯の中から生み出されてきたものであるが、復帰後も、米軍統治の状態と同様に黙認耕作が継続されている状況である。
第三章 土地利用計画と諸問題の解決
一、問題解決に向けての基本姿勢
(1)政府の問題解決に向けての姿勢
旧読谷飛行場の戦後処理とは、戦争目的のため強制的に接収された用地の問題を解決することである。政府は問題解決に当って、接収に際し、旧陸軍関係者が説明したいわゆる「戦争目的が終了したら土地は返す」という当時の精神に立ち、旧地主関係者の戦中戦後の立場を充分に認識した上で積極的に努力する。それが政府の責任であり、基本姿勢でなければならない。
(2)戦後処理と問題解決
読谷飛行場用地の問題解決をはかるためには、読谷飛行場に内在する諸問題の解決が不可欠である。しかもこれは旧日本軍による接収と戦後の米軍統治に起因する戦後処理問題の解決にほかならない。
(3)基地使用の限界
戦後四十年、旧軍接収用地の戦後処理がなされず、米軍基地として継続使用されていることは全く異常であり、今日まで幾多の事故を引き起してきたパラシュート訓練場が村の中心部に今なお存在すること自体不自然であり、村民との間に紛争が絶えない場所である。更に周辺の市街化や公共施設等の立地状況からして大惨事に至る恐れが強く、基地使用は既に限界に達している。
二、土地利用計画に基づく問題解決
(1)土地利用計画に基づく問題解決
問題解決に当っては、旧地主の組織である読谷飛行場用地所有権回復地主会の要求である戦後処理の早期実現のため、旧読谷飛行場全体についての「土地利用計画」を策定し、それに基づき用地の返還を実現させ、その利活用を通して諸問題を解決するものとする。
(2)急がれる土地利用計画と有効利用
第二次沖縄振興開発計画において、米軍施設の早期整理縮小及び跡地利用促進が基本方向として掲げられ、しかもそれは沖縄本島中南部における重点施策となっている。
当用地は土地の位置境界がほぼ定まり、旧地主関係者によって復帰後の地籍調査時に配列図も完備しており、土地利用の基礎的条件が整ってきている。又、パラシュートの訓練場移設調査も進められており、さらに昭和六十二年の沖縄国体開催に向けて国体競技場(ソフトボール場)が準備されつつある。
このように読谷飛行場用地の返還とその転用計画に基づく土地利用は、今や社会的要請となっており、その具体化が急がれている。
(3)復帰特別措置
沖縄は戦後長らく日本の施政権外におかれ、米軍統治下にあったため、山積みされた戦後処理の問題の解決は復帰を待たねばならなかった。こうした沖縄の特殊事情を顧みるならば、読谷飛行場用地の戦後処理は沖縄復帰特別措置として取組まれるべき課題である。
(4)沖縄振興開発
ところで、復帰後の社会環境はそれぞれ以前とは大きく異なっており、この取組みにあたっては今日の社会的要請に充分に応えていく必要がある。
それは地元を中心とした沖縄の振興開発であり、この用地の計画に基づく有効利用にほかならない。この有効利用の実現と合せて諸問題の解決をはかることを目指すものである。
(5)一括利用
戦後処理と土地の有効利用を目標に諸問題の解決をなそうとするとき、当用地の利用上の調整と問題の同時的解決とから旧軍用地の一括した取扱いが前提である。
従って旧読谷飛行場用地の一括利用計画に基づく有効利用の実現を目指すものである。
(6)土地秩序の回復
読谷飛行場用地の問題を解決するため、読谷村は、国・県関係機関との連絡、調整、協議を行ない、土地利用計画の具体化を通して旧地主関係者の戦後処理としての所有権の実質回復をはかることと、黙認耕作者に対しては必要な調査を実施し、急激な生活不安をきたさない配慮の中で土地秩序の回復を行なうものとする。