読谷村史編集室 読谷村の出来事を調べる、読谷村広報データベース

1986年5月発行 広報よみたん / 5頁

福祉を支える人 家庭奉仕員③

福祉を支える人 家庭奉仕員-③
新垣美代(六二歳) 大木二九五
 奉仕員委嘱 昭和五九年四月一日
派遣世帯
 砂辺光線(八六歳) 大木三一二
 新垣美代さんが奉仕員の委嘱を受けて砂辺さんの世話をするようになって二年程。今では砂辺さんにとって、この人でなければ、と言われるほど心を通せています。八○歳までは元気でサトウキビ作りに頑張ってこられた砂辺さんももう八六歳の高齢になり足や腰、目、耳も支障をきたして、一人暮しの生活には、奉仕員の世話は欠かせないものとなっています。
 美代さんも六二歳ながら、奉仕員の他に、社協の食事サービスなどのボランティアや婦人会活動にも頑張っており、特に、古堅小学校入口での交通指導は十年も続けるなど若い人にもまけない精力的な活動に多忙な毎日です。
 又、家庭でも、自ら小売店を営む他、養豚業の夫の手つだいもあり、その頑張りぶりにはただ驚くばかりです。
 そんな忙しい毎日の中でも「忙し過ぎて砂辺さんの世話が充分できているのか心配です。」と言いながら一日ごしに世話に通っているという新垣さん。砂辺さんは「この人がいなければ、どうなっていたかわかりません。一生懸命やっていただいて、本当に感謝しています。」と生活だけでなく、心の支えにもなっているようでした。

禰覇弘子(三九歳) 大湾五五七-二
 奉仕員委嘱 昭和六〇年十一月一日
派遣世帯
 山川カマダ(八三歳) 大湾七一三-六
 昨年、伊是名村から本村へ移り住んで現在中学三年生のお孫さんと二人暮らし。三十代にご主人を亡くし、それまで伊是名で一人で頑張ってこられたのですが、昨年、読谷村に住んでいた息子さんの突然の不幸は、八三歳の山川さんには大変なショックだったようです。
 息子さんの住んでおられた読谷も山川さんにとっては見知らぬ土地であり大きな不安もあったことでしょう。
 そんな中で、親身に世話をするようになった禰覇さんは、山川さんにとって本当に心の支えになったようです。
 禰覇さんは、「初めの頃はすっかりふさぎこんでしまって家の中にとじこもりきりだったんですがようやく最近は、時々散歩に出たり、話もよくするようになってきました。いつも話しかけて、よく聞き役をするようにしています。」と語っていました。
 山川さんは大変な心配症で、お孫さんの帰りが遅くなったり、禰覇さんの来るのが遅いと、道まで出て待っていることもあるそうで禰覇さんは、婦人会の役員をしながらも、一日に二、三回は山川さんを訪問しているということです。

金城幸子(二七歳) 比謝三六
 奉仕員委嘱 昭和五七年一月
派遣世帯
 富川文江(八五歳) 比謝矼八
 金城さんは奉仕員の中では一番若い奉仕員ですが、奉仕員に委嘱されて四年になります。
 小学生二人と一歳の三人のお子さんのお母さんでもあり、育児や家事に忙しい中、富川さんの世話も一生懸命のようです。
 「お年寄りの世話はむずかしいと、よく言われるんですが、富川さんは、まだしっかりしているし、好ききらいもはっきり言ってくれるので、大変だと思ったことはありません。かえっていろいろ教えてもらって勉強になっています。」と楽しそうに話していました。
 富川さんは、足と耳がわるいのですが、大変話し好きで大阪での苦労話やハワイの親せきの話をなつかしそうに話してくれました。
 ハイカラな感じのするおばあさんで、とてもきれい好き、野菜や魚を主食にしていて健康には気をつけているようです。
 そうじや食事も、自分でできる分はゆっくりやっているということで、世話のかからない、やさしいおばあちゃんだそうです。
 訪ねてくる人には、大変気をつかう富川さんですが、金城さんには、本当のお孫さんのように接し、心をゆるしあって、いろんな話をするようです。金城さんも時間のある時は何度でも足を運んでいるようでした。

※写真は原本参照

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