読谷村史編集室 読谷村の出来事を調べる、読谷村広報データベース

1990年6月発行 広報よみたん / 9頁

青年海外協力隊員の大城美由起さん アフリカでの任務を果して無事帰郷

 昭和六三年・第二次青年海外協力隊員の大城美由起さん(字高志保六一番地)が、二年間の任期を終え元気に帰って来た。
 外国で自分の可能性を試してみたいというチャレンジ精神や助産婦として役立ちたいと思う奉仕精神がアフリカ行きを決意させた。しかも、従来二人配属だった現地に、たったひとりで赴き、りっぱに任務を果して帰って来たのだ。もの静かで控え目な内に秘めたパワーは計り知れない。
 アフリカ大陸東部、人口七四〇万人のマラウイ共和国。近隣諸国にタンザニア連合共和国、ザンビア共和国等がある。大城さんの任務地コタコタ地域は、トウモロコシを主食にサトウキビ、タバコ、米、お茶などを栽培する農村地帯。亜熱帯気候で、見慣、れた花木が故郷沖縄を思い起こさせてくれたようだ。
 女たちが良く働く分、男たちはのんびり。一夫多妻の風習が残る。しかし、相互扶助の精神や血縁・血族間の結束は瞬く、強い絆で結ばれているとのこと。
 勤務先のセント・アン病院は産科・小児科のミッション系病院で、クリニカルオフィサーをチーフに四〇人余のスタッフが勤務。内助産婦は十七人で、大城さんの他には正規の助産婦であるレジスタードナースはひとりだけ。医療設備機器、医療品も之しく、ベッド総数は九○床、狭い部屋に十六ずつのベッドがひしめきあう。
 大城さんは、病棟責任者という重要なポストを任された。スタッフの指導にあたりながら、分娩介助や看護はじめ、本来の職務以外の事もこなすという激務に耐えなければならなかった。
 赤ン坊が好きで助産婦の道を選んだ大城さんが、遠くアフリカで目にしたものは、子供たちの余りにも多すぎる死であった。貧しさゆえの栄養失調。不衛生な生活環境から発生する下痢やはしか・マラリアなどの伝染病。一度や二度どころの話ではない。何度でも発生するのだそうだ。予防医療が追いつかないと言う。○歳児の死亡率が高く、この世に生を受けたばかりの子供たちが次々に死んで行く。一夫多葵制の中では、家族計画の指導もうまくいかない。
 ことばのちがいも大きな障害となった。スタッフ間の英語の他に現地のチチェワ語も使いこなさなければならない。特にスタッフ間の専門用語は正確さが要求される。そのあせりが、大城さんをジレンマに陥らせた。そんな彼女の心を柔らげてくれたのは、貧しい人々の心の藍かさ、大らかさであったと言う。
 大城さんは今、フリーの助産婦となって、地域医療に携わりたいと考えている。アフリカの人々の温い心に触れたせいだろうか。協協力隊員としての体験がステップとなり、益々大きく捌こうとしている大城美由起さんである。

利用者アンケート サイト継続のために、利用者のご意見を募集しています。