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1990年8月発行 広報よみたん / 3頁

喜名区環境整備事業(移転地区)完了 道路・水道排水路 甦える快適な住環境

 喜名区(宇根良雄区長)が戦後処理事案として進めている総合環境整備事業(嘉手納弾薬庫地区周辺移転先地公共施設整備事業)の移転地区事業(第一工区)が今年三月完了。総事業費七億六千八百万円(うち国庫補助金六億九千百万円)を投じ、喜名中原、西原地区の二三・六㎞用地に道路、排水路、水道が整備された。
 その完了を祝して七月十五日午前、関係者多数が出席して記念碑の除幕式が行われ、続いて午後からは喜名小学校体育館において盛大な祝賀会が催された。
 大戦後米軍統治下に置かれた本県では、米軍による土地等の強制接収が行われた。本村においても村土全域が米軍使用地となっていた為、幾多の部落が旧集落への復帰を許されず、以来部落再建という戦後処理事案を抱えて来た。
 喜名区も又例外ではなかった。現在の国道58号東側にあった戦前の喜名集落は、敗戦により既に弾薬収積所として米軍に接収されていた。帰るに帰れない喜名区民に許された道は国道西側一部での居住のみ。道路、排水路等の整備もされない地での劣悪な住環境の中で借地家屋がひしめきあった。
 復帰直後までの村土73%から、今日48%に米軍基地が縮少されたとはいえ、本村の重要課題として軍用地の返還問題は続いている。昭和五九年喜名区は遂に、喜名総合環境整備事業期成会(漢那朝章会長)を結成。喜名区の環境整備へと動き出したのである。
 昭和六〇年、国庫補助による移転先地事業に着手。今年三月までに同区中原、西原地区の二三・六
㎞用地に道路五、二九六・七m、排水路七九七・四m、水道三、五八○・二mが整備されるにいたり、快
適な住環境の中、次々に住宅建設が進められているのである。
 同事業は今後、既成集落(密集地)を対象に平成六年度までに十四・七㎞の用地に道路、水道、排水
路の整備事業を行っていく。

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