旧正月の直前、沖縄にもやっと寒さが訪れた。暖冬といわれる今年、「このまま春になるのでは」の声も聞かれた頃だっただけに、ことさら寒く感じられた。そんなある日、私は一日体験学習のつもりでパッカー車に乗せてもらいゴミ収集をさせてもらった。初めてのことで心も弾んだ。
一九九〇年四月から読谷村ではゴミの分別収集が行われている。燃えるゴミと燃えないゴミを分け、ゴミの減量化を図ろうとするのがねらいである。本村では現在、一日に約35トンものゴミが出る。当然私の家から出るゴミも含まれる。そこで、自分の家から出たゴミがどう処理されていくのだろうか、実際に見てみたいとかねてから思っていたのである。その日は燃えるゴミの収集日で、ちょうど私の住む地域を含む渡慶次校区を回る日であった。
午前八時三〇分、パッカー車はゆっくりと走りだした。まず、高志保大通りを抜け、その日の最初のステーション(ゴミ集積所)バスターミナルに到着、助手席から降りて早速積み込む。「今日は木曜日だから少ないよ」と話ながら慣れた手つきで放り込む知花真盛さん。その後車上(パッカー車の後ろに立ったまま)での会話がゴミ問題を考えさせる多くの事柄を示唆していただいた。車はゆっくり走りながら川平から長浜の坂を下った。
各ステーションでゴミ袋を放り込むのだが、中には金属性の音がするゴミ袋があった。中身を見てみると飲物や缶詰めの空缶が入っている。そうした袋はすぐに取り出され「分別収集にご協力を」のステッカーが貼られ、その場に置き去りにされる。「ステーションによってちゃんと分別されているところと、そうでないところがある」という。分別収集を始めてやがて満三年になる。しかし、残念ながら100%徹底されていない。これが現状だ。
途中から「今日は少ないと思ったが、意外にそうでもないな」と真盛さんは怪訝そうな顔になってきた。段ボールや紙類のリサイクルがバブルの影響で採算が合わず立ち切れになっているため、燃えるゴミとしてステーションに運ばれて来るからだと言う。案の定予定の区域を一部残し満杯となったパッカー車は一路嘉手納町美化センターへと向かう。
嘉手納町と読谷村が相提携しゴミ減量作戦をスタートさせたのが、三年前の四月。読谷村の燃えるゴミの一部を嘉手納町美化センターで焼却し、嘉手納町で排出される残渣(ざんさ:燃えかす)を読谷村の最終処分場に埋立処理するというものである。美化センターに到着するとまず運転手一人が乗ったままで計量し、大きな焼却炉の側にある搬入口にパッカー車からゴミを落とす。パッカー車の後部は自動的に開閉し、ダンプカーのように荷台を持ち上げゴミを落とすのである。見た目よりは大量のゴミが圧縮され積み込まれているので、こんなに入っていたのかと驚くほど流れ落ちて行く。焼却炉の付近にはマスクを付け安全に気を配りながら、せわしそうに動いている職員の姿が目に入った。
真盛さんは自宅のゴミをあまり出さないように、生ゴミはコンポスターで堆肥にし、燃えるゴミもできるだけ自宅で焼却処理するようにしている、という。そうしたことができない家庭でも、各家庭で唯一ゴミ減量作戦に参加できる方法は、分別する習慣を付けることであると強調する。ゴミ収集の現場で働く人々の共通の声なのかもしれない。
オゾン層の破壊、森林の減少、海洋汚染、酸性雨…。地球が病んでいると人は言う。しかし、病んでいるのは地球ではなく、われわれ人間の心なのかもしれないのだ、豊かな地球から資源をはぎ取り、還元することなくゴミとしてまた地球に押し付ける。そのゴミも今や飽和状態。行き場を失ったゴミはどこへ行くのだろうか。豊かさや便利さを追い求めたこの半世紀、価値観の転換が求められる時期にきた。これからは「地球にやさしい」が合言葉になろう。でももう一度考え直すと「地球にやさしい」は「人間にやさしい」と同義語であることに気づく。
ゴミ処理、リサイクルの先進地デンマークでは、一トン当り140クローネ(約3,080円)のゴミ税を徴収して環境対策に回しているという。これまでゴミは無料で処理してもらえると考えていた人々にとって、ゴミに税金なんてとんでもないとする反発がすぐに聞こえてくるような気がするが、このままの状態でゴミが増大し、環境への影響が大きなものとなった暁には人類の生存のために真剣にこうしたことが検討されることになろう。
クリントン米国新大統領は就任演説の中で「子孫のためにわれわれは理想を抱き、子孫から地球を預かり、子孫のために聖なる責任を負っている。」と述べた。子ども達がこれからも生きていける環境づくり、今の大人たちに課せられた大きな課題だ。しかし、机上の空論にしないためには、いま私たちができること、すなわちせめて「ゴミの分別収集に協力しよう」のスローガンを実践してみようではないか。ここから「地球にやさしい」の第一歩が始まる、そんな気がする。
小橋川 清弘