読谷村史編集室 読谷村の出来事を調べる、読谷村広報データベース

1998年4月発行 広報よみたん / 13頁

字別構想の概要紹介№16 牧原 山里の未来づくり

「往時の典型的な住宅」、[写真]「公民館前の児童公園」※原本参照

牧原

プロフィール
 牧原はかつて琉球王朝の牧(まき=牧場のこと)に入植した集落である。明治期にはため池、トロッコ軌道、農道など県下初の圃場整備が行われ、農業の先進地として活況を呈した。戦後は字全域が嘉手納弾薬庫に接収されたため、現在地の伊良皆及ぴ比謝あたりに移り住んだ。周辺の住宅地化が進むにつれ、他地域からの転入者も増加し、今日に至っている。行政区加入人口は二百六十六人(六十一世帯)で、村内では非常に規模の小さい区である。

地区づくりの目標
 現在地での暮らしも安定し、二世たちが時代を引き継ぎつつある。しかし元の集落は今も軍用地内にあり、そこが牧原の〝ふるさと〟 なのである。戦後五十年余、ふるさとを改めて考える時代に入った。現在の暮らしの向上をはかり、軍用地内の牧原の未来図を描いていく。

公民館活動の活性化
 少人数で分散居住していることから、公民館を利用した団体活動や地域活動が停滞気味である。そこで子ども達も含めた路端の花植えやゴミの減黛化等、日常生活の中からできる地域活動に取り組むと共に、小規模コミュニティーにふさわしい新しい住民運動の構築により公民館活動の活性化を進める。

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