読谷村史編集室 読谷村の出来事を調べる、読谷村広報データベース

2001年2月発行 広報よみたん / 5頁

アルゼンチン読谷村人会創立四十周年記念式典に参加して 読谷村長 安田慶造

アルゼンチン読谷村人会創立四十周年記念式典に参加して
   読谷村長 安田慶造

 アルゼンチンはスペイン領土であった歴史的背景もあり、南米の一国でありながら、どこか古いヨーロッパを思わせる独特の表情を持つ国であります。
 一九〇八年(明治四十一)、夢と希望を抱きつつ「笠戸丸」にて沖縄県人三二五人を含む七九一人の日本人移民団がはじめてブラジルに渡り、その後更なる新天地を求めて再移住したのがアルゼンチン移民の始まりだと言われております。しかし言語や風俗習慣、自然環境等々沖縄とは全く違う環境での生活は筆舌に尽くしがたい苦労の連続であったと伺っております。
 我が読谷村人会は、一九六〇年に読谷出身の勢理客宗久氏と嘉手納出身の幸地加那氏が中心となり「読谷・嘉手納同志会」として発足したことにはじまり、その後一九八八年には各々独立し「読谷村人会」と改称し現在に至っております。
 十一月十六日に沖縄を出発し、関西空港・ロスアンゼルスを経由し、約三〇時間後にアルゼンチンに到着、空港では村人会役員の皆様方が温かく出迎えて下さり、懐かしいお顔を拝見し旅の疲れも取れる思いでありました。
 十一月十九日には沖縄県人会館において記念式典・祝賀会が開催されましたが、「どうせやるなら盛大に…」と若い方々が率先してこの計画を進められ、三〇数世帯の村人会ながら四〇〇名のお客さんを招いての盛大なものでありました。読谷村人会の団結力と行動力は現地でも高く評価されているようでありますが、節目の祝賀会を成功裏に終えたことで村人会への評価も一層高まることでありましよう。
 勢理客アニーバル村人会長をはじめ、今や村人会組織も二世中心に変わりつつありますが、スペイン語を中心とした日常生活の中でも「ウチナー口」が世代を越え受け継がれていることに驚きます。
 式典では読谷村より七〇歳以上の七名の先輩各位への感謝状と記念品をお贈りし、更なるご健勝をお祈りいたしました。そして村人会より子弟の学士号取得者への記念品贈呈も行われ、子弟教育に対する先輩方の深い思いを感じます。
 式典終了後は祝賀会へとうつり、会場は花卉農家の村人により色とりどりの花で飾られ、そして心地よい「キロロ」の曲が流れ、各テーブルにはウチナー料理が並べられ、読谷村にいるような雰囲気の中で心温まる懇談の一時を持てたことはこの上ない喜びでありました。
 会館横の広場には村人会の心のこもったもてなしを象徴するように、三〇〇㎏を越える牛肉や鶏肉等が炭火の上で出番を待ちかねているようでありました。
 祝賀会には村人以外の方々も多く参加しておりました。読谷の祝いならば是非出席させてほしいと希望される方も沢山おられるとお聞きし、読谷村人に対する信頼と評価の高さを感じ、大変頼もしく心強く思いました。
 幕開けの古典演奏にはじまり、琉舞、日舞、ギター演奏等、バラエティーに富んだ実に二八プログラムの余興が繰り広げられました。数の多さもさることながら、そのほとんどを村人自身が演じていることに驚き、感動いたしました。
 日頃から琉舞や日舞などの経験がない村人もこの日のために猛練習を重ね、式典から祝賀会まで約六時間の長丁場でありましたが、見応えある演舞が披露され、時間を全く感じさせない見事な祝いでありました。
 遠い南米の地で読谷に思いを馳せながら、読谷村人としての「自信」と「誇り」を抱きながら逞しく暮らす沢山の人がいらっしゃることを忘れることなく、アルゼンチンをはじめとする国外で暮らす村人の心の故郷「ユンタンザ」の更なる発展のためにも、我々は今以上に頑張らなければらないと思った旅でありました。

利用者アンケート サイト継続のために、利用者のご意見を募集しています。