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2006年4月発行 広報よみたん / 17頁

読谷の民俗芸能13 組踊(12) 父子忠臣の巻

読谷の民俗芸能13
組踊(12) 父子忠臣の巻
 昭和五十七年九月、読谷村字楚辺で組踊「父子忠臣の巻」が二十七年ぶりに復活上演されました。実は私はその前に、字長浜の「父子忠臣の巻」について聞き書きを終えたばかりであったので、字楚辺の復活上演は特別な思いを寄せて鑑賞しました。展開されるストーリー、唱え、所作など大筋私の聞き書きと同じでありました。字長浜の「父子忠臣の巻」が再現されているような不思議な感動を覚えました。伝統芸能の調査にあたり、地域の伝承者の皆様が、芸能全体にわたりしっかり継承しておられることに日頃から頭が下がる思いで教えて貰っています。
 さて、この組踊は「束辺名夜討」の「大束辺名」と区別するため、「束辺名小」とも呼ばれます。明治二十八年と二十九年の二回、那覇市の下の芝居(本演芸場)で上演されたが、それ以後はほとんどやっていないとのことであります。伝承地域は読谷村字楚辺、字長浜、字比謝、嘉手納町字野里、西原町小波津、竹富島などであります。父子忠臣の巻が何時、どのような経路で字楚辺、字長浜、字比謝に伝えられたかは不明です。
 あらすじは、島尻方面を自分の支配下に置きたいと企んでいる束辺名の按司は、器量と剛健さを兼ね備えた糸数の按司が邪魔で仕方がない。そこで、糸数の按司の妻の誕生日の宴に乗じ夜討ちをかけ、糸数の按司を滅ぼした。糸数の按司の忠臣、山城の比屋は糸数の按司の子(若按司)を背負って落ち延びる。隠居していた山城の比屋の父兼本大主も、主君の仇を討つべく時節の到来を伺っていた。折しも、束辺名の按司が恩納山で猪狩りをするという話を聞いた山城の比屋と兼本大主は若按司と共に力を合わせ、束辺名の按司を討つ、という内容です。
音楽は全体として大曲は使用されておらず、いかにも楽しく観劇するために創作された組踊であることを強く感じます。村アシビでは好んで演じられ、ユシアシの躍動感や糸数城への忍びの所作は、見る者の心をワクワクさせる内容、振り付けであり、特に山城の比屋が、若按司を背負って演じる長刀の舞いの場面は拍手が沸いたと言います。
  文・村立歴史民俗資料館
         長浜真勇

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