戦後の移民
戦後いち早く救援の手を差し出したのは、世界のウチナーンチュたちでした。戦時中は迫害を受け、生活が苦しいにもかかわらず、荒廃した故郷のために、食料や豚、衣服を届け、貧しい暮らしをしていた県民の支えとなり、生活再生への力となりました。
一方、沖縄県では、海外、県外からのひきあげ者が急増し、人口問題が顕著になるなか、琉球政府は海外移住を再開する政策をとりました。1948年(昭和23)戦後初めての移民33人がアルゼンチンへ渡航。読谷村からは、1954年(昭和29)ボリビア移民が出発し、1964年までに363名が新天地を求めました。
琉球政府の推進のもと、戦後の移民は、本土復帰の翌年の1973年(昭和48)まで続けられました。
これからの沖縄県民と世界のウチナーンチュ
「ウチナーンチュ」という結束のもと、常に県民を遠くから力強く支えてきた世界のウチナーンチュ。彼らの果たしてきた貢献は図りしれないものがあります。しかし、時代の経過とともに、海外県系人の間でも、「ウチナーンチュ」アイデンティティが希薄化し、その次世代への継承が課題となっています。
今回行われた「世界のウチナーンチュ大会」を機会に、移住先国と沖縄の相互発展に尽力してきた移住者世代と、これから未来を創造していく若者双方が、世代間、地域間の相互理解と交流を深め、ユンタンザンチュネットワークの継承、進化、拡充が図れることを期待します。