読谷の民俗芸能21
舞踊(6) 馬舞
高く揚げた太鼓を足で蹴り上げる太鼓打。手綱さばき、疾走、あたかも深呼吸をして休憩している様子などの馬の様々な動作。勇壮な太鼓打ちと多彩な足技、巧みな身体表現を駆使する踊り手が織りなす芸能の世界。これが高志保の「馬舞」です。
「馬舞」は、沖縄市泡瀬、宜野座村宜野座に伝承されるチョンダラー芸能の一種で、舞踊「高平良万歳」、八重山竹富島の「ウマヌシャー(馬乗者)」との類似性はよく語られているところです。また、全国各地に分布する春駒系芸能に目を向ければ、比較鑑賞も楽しめるはずです。
さて、字高志保に「馬舞」がどこから伝来し、いつから踊られているかははっきりしません。少なくともおよそ一〇〇年前には踊られていたとの言い伝えがあります。ちなみに、明治40年3月の琉球新報には、「高志保村は馬前」と記録され、読谷山郵便局の電信開始式の祝賀会で演じられたことがわかります。
衣装は、頭に紫の長巾、万歳笠をかぶり、あごに黒いひげをつけます。黒の着物にたすきを掛け、足には白黒縦縞の脚半を巻きます。さらに踊り手は手綱の付いた板製の馬頭を腹帯に差します。
音楽は、ヤンスル節と早作田節(入り羽の時に歌うので 切早作田節と呼ぶ)の2曲を使用します。節回しに「馬舞」独自のものがあります。
歌詞の内容は万歳芸に見られる「東西東西・・・」と口上的な歌い出しとなり、全体的にはチョンダラーの中で演じられる「馬舞者」と同じくこっけい味のあるものになっています。浜崎、前ぬ井戸などの地域の地名を取り込むなど「馬舞」独特の内容があります。
「馬舞」は、地域をはじめ県内各地の催しに出演し、1992年には「ウマヌシャー」との交流公演を実施し、1995年には「まつりinハワイ」でも頑張りました。
字高志保公民館には、大城盛雄氏がまとめた詳しい論文がありますのでご参照下さい。
文・村立歴史民俗資料館 長浜 眞勇