読谷村史編集室 読谷村の出来事を調べる、読谷村広報データベース

2007年10月発行 広報よみたん / 15頁

読谷の民俗芸能 31 舞踊 (13-1)上り口説、下り口説

読谷の民俗芸能 31 舞踊 (13-1)上り口説、下り口説

 読谷村との観光スポット、風光明媚な場所と知られる残波岬は、かつて『大北崎』『崎枝』と呼ばれていました。“残波岬”という地名が初めて登場するのが「上り口説」「下り口説」なのです。音楽家屋嘉比朝寄という人は一七六四年~八〇年の間に口説を作曲したと言われていますので残波岬の名称解明の手がかりになるかも知れません。「上り口説」「下り口説」は、那覇港と鹿児島県山川港の往復の道中を読んだ歌で、「上り口説」は行き、「下り口説」は帰りの様子を舞踊化したものです。「上り口説」「下り口説」は、読谷の古層の村と言われている十五字すべてに伝承されています。
 「上り口説」は、字高志保では「旅口説」と呼んでおり、言い得て妙という感じがします。字宇座には、ハヤシの伴った踊りが伝承されており「上り口説ベーシ」と称しています。ハヤシの入る「上り口説」は、実演家の間でも演じる機会が少ないので、それだけに字宇座の「上り口説ベーシ」は重要な存在です。
 踊りは、両手に扇子を持ちますが、口説物の例に漏れず写実的な振りが目立ちます。「伏し拝で」(一番)、「歩み行く」(二番)、「打ち渡て」(三番)「袖と袖とに」(四番)、「後に見て」(六番)「押し添えへ」(七番)の部分は最も分かりやすい箇所です。字大湾の踊りは、八番の「立ちゆる煙は」の部分で、右手の肩口から扇子を立てて、左右に小刻みにゆらしながら上に持ち上げます。煙が立ち上る様子をほうふつさせる場面です。
 字大湾では、字牧原の御冠船踊役者であったといわれる久志安均・安寿兄弟から指導を受けているので古い形を留めている可能性が十分にあります。ある舞踊家は若い頃にはそのように踊っていたと語っています。関連して、八番のこの歌詞には「燃ゆる煙は」と二通りありますが、字大湾の扇子の扱いは暗示的な気がします。
 那覇港から鹿児島県山川港までは三日間の道程であったらしく、字宇座の七番目のハヤシに「三日の御祝」という言葉があります。八番目のハヤシ「山川や加治木鹿児島までも」は入らず、かぎやで風節で「那覇からや出ぢて 今日三日どなゆる いつの間に着ちやが 山川港」と歌われたと語る古老もおられます。
 文・沖縄藝能史研究会会員
        長浜 眞勇

利用者アンケート サイト継続のために、利用者のご意見を募集しています。