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2008年1月発行 広報よみたん / 15頁

読谷の民俗芸能34 舞踊(15) 真福地のヘイチョウ

読谷の民俗芸能34 舞踊(15) 真福地のヘイチョウ

 沖縄の舞踊のなかで「四つ竹」を小道具にして踊る演目は数多くあります。音楽もそれぞれ異なる曲を使用しています。一七一九年の尚敬王冊封式典の仲秋の宴に「拍舞」という演目が見えますが、四つ竹でリズムをとって踊るところから「拍舞」と記録されたと考えられています。カチカチと打ち鳴らされる竹の澄み切った音は邪気をはらう意味もあります。読谷まつりでおなじみの「踊りくはでさ」「貫花」もこのたぐいの踊りです。
 さて、字瀬名波に伝わる「真福地のヘイチョウ」も両手に四つ竹を持ちます。音楽は「真福地のヘイチョウ節」を使用します。この曲は、古典音楽演奏会などでは本田名節、揚高禰久節と一組になった祝儀曲として演奏します。平成一八年八月に儀保カナミについてご紹介しましたが「真福地のヘイチョウ」も儀保カナミが伝えた演目だといわれます。頭にはコウタチと呼ぶ雲の上に月をあしらった飾り物を被り、紫の長巾を背にたらします。胴衣、カカンを着け、紅型の着物を羽織ります。
 踊りの見どころは、重心を低く保つことを基本にし、まず上下に手を広げ半身になって前進することや、ゆっくりと回ったり、また、脚の動きを止めて両手でリズムをとることなどです。「踊りくはでさ」と同じでゆったりとした速さですから、相当の踊りこみが要求されます。
「沈や伽羅とぼす御座敷に出ぢて踊る我が袖のにほひのしほらさ(沈と伽羅の香を焚く立派な座敷に出て踊る私の衣装の袖までも香ばしい)」、「真福地のはいちょうや、かれなものさらめ いきめぐりめぐりもとにつきゃさ(福木で作った盃は縁起のよいもので、めぐりめぐって元に戻ってきた)」の二首の琉歌が歌われます。古くは酒を飲み交わす場合は、ひとつの盃で回し飲む習慣がありました。喜屋武間切福地村は、南山の唐船の船頭が出た所で、出船祝いには「真福地のヘイチョウ節」を合唱したといわれています。元に戻るということは、船旅に出るものにとってこの上ない望ましいことであり、「真福地のヘイチョウ節」は好まれたのでしょう。船乗りであった儀保カナミの心境にもつながるものがあります。「真福地のヘイチョウ節」で踊る四つ竹踊りは県内でも字瀬名波のみに伝わっているように思われます。元は二人で踊るのが普通でしたが、三人に増え、現在では十人前後で群舞として踊っています。
 文・沖縄藝能史研究会会員
        長浜 眞勇

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