読谷村史編集室 読谷村の出来事を調べる、読谷村広報データベース

1994年3月発行 広報よみたん / 8頁

【見出し】南米(ボリビア)から研修第一期生 喜瀬君がんばる!沖縄産業開発青年隊にて

 本年度から始まりました読谷村の「海外移住者子弟研修生受入事業」の第一期生として採用され、県内で研修を続けている喜瀬普美頭君に”開発青年隊”での生活の様子などについて感想を書いてもらいました。
 彼の日本語力の素晴らしさは本文を読んでいただければお分かりいただけるものと思いますが、ユーモアに富み、ありのままを素直に書いており、今後、ボリビアの村人会とふるさと(読谷村)とのネットワークづくりへの活躍も期待しながら、ここに文章表現を原文のまま掲載し、紹介したいと思います。

 沖縄産業開発青年隊にて

 青年隊に入隊してすでに四か月が過ぎました。思ったよりはだいぶ楽でした。青年隊に入隊する前に、いろんな人から「きついぞ」「夜逃げするなよ」などといわれたので「これはおもしろい、自分がどこまでできるか」というのうけんしんにかられ、入隊してみました。
 一週間がすぎ、くんれんにもだいぶなれたころ、同室の人達とも気がるに話せるようになり、張りつめていた空気がだんだんおだやかになってきました。
 入隊二週間後、初めての外出日がありました。なぜかその日にかぎって、みんなうれしそうで、ふだんなまけている人もバリバリと仕事が進みます。
 外出から帰ってくると、僕の頭は五分刈り。教官が「やる気があるなら髪をみじかくしろ、みじかい分だけやる気がある」といったので、みじかくしたのです。みんなにわらわれるだろうと思っていってみると、あんのじょう、わらわれましたが、次の日はみんなおんなじようになぅていました。そして、いいだした教官までも・・・。
 教官は、やさしい人ほどきびしい(らしい)。おもしろいアダ名のついた教官もいる。この教官は、バックホールとブルドーザーなどを教えてくれますが、ミスをするとこわい。たたかれる。ヘルメットをしているがいたい。また、はなれたところから土のかたまりをなげてくる。「わんがんせんそう」というアダ名がついたのは、このようにミサイルやばくだんこうげきをするところかららしい。
 教官としてみれば、ミスすると人命を失うこともあるからきびしくするのだが、こんなアダ名をつけられてしまった。かわいそうだけど、なんかわらえる。(すみません)
 一度、この教官に夜間爆撃(笑い)をくらったことがある。同室の二人がしょうとう時をこえてもおしゃべりをしていると、いきなり話がとまり、ゴツンという音。その後、ピカッと光り、ミサイルが頭部を直撃。あ、いたかった。自分はおしゃべりしてなかったのに。(ま、いいか。)
 一か月が過ぎたころ、教官たちのせいかくも少しずつわかってきたのか、教官によってみんなのたいおうのしかたがかわってきました。これには一番はらがたった。教官の話し中に私語をしたり、いみのない発言をしては自分たちだけでわらったり。しかし、少数のまじめな人がいたので、ああ、僕一人じゃないんだなー、やっぱりまじめはいいなーと思いました、
 青年隊で一番こまったのは、教官の講義でした。「ね、ねむい!」朝は六時に起きて、隊きけいよう、ラジオ体そう、マラソン、うでたてふせ、ベトコンとび(スクワットみたいな)、そしてまたラジオ体そうなどをしているので、それらをまじめにやればその分ねむいようです。それでも講義の後はなぜかほんのり頭痛が。
 土、日は午前が実習かあるいは講義で、午後は三時までクラブ(やきゅう、バスケ、バレーボール、駅伝など)があります。
 マラソン大会(十四㌔)にそなえて、駅伝部に入りました。でも、やっぱり走るのが苦手なんです。はい。十一月後半にマラソン大会がありました。練習のかいあって、なんとか時間内にゴールできました。肩の荷がおりた気分。
 産業まつり(名護、宜野湾)にもいかせてもらい、たいへん勉強になりました。このとき、はじめてパパイヤはやさい用と果実用があることを知りました。ちなみに青年隊では、マクワウリ、トウガン、大根、パパイヤ、キャベツなどを作っています。(パイナップルも)
 サトウキビも作っていますが、農場実習では、サトウキビ畑の草刈りが大半です。隊員がもっともきらうのは、ちくさん実習で、実習からもどってきただけで、「あ、おまえ、今日ちくさんだったな」とわかってしまうほど、においがついてくるからです。ぶたと牛とでは、においの強さもちがう。
 青年隊では、おかし、酒などはもちこみきんし。しかし、タイミングを見はからって、外の友人に酒をとどけさせ、かくれてのんでいる。よっぱらってあばれるやつもいるみたいで、大きな声がする。わからないと思ってのむのか知らないが、ろうかは酒のにおいでいっぱい。今教官がくれば全員外出禁止なので、みんながかくしとおすようだ。うーん、だれか注意してくれないかなー。(なんで自分でやらないんだろう、ぼくは。)
 青年隊では、いろんな所から教官がきて講義をしてくれます。ハプについての講習もありました。世界一タチのわるいどくじゃらしいです。(タチのいいどくじゃっているの?)農場実習のとき、サトウキビ畑の草刈りをすることが多いので、そのさいに気をつけるようにとのこと。おかげで草刈りがこわくなってしまった。
 最近になって、目立ってきたのは、隊員たちがだらくしてきたということ(自分も)。同室の二人は、教官と話すときも、けいごをつかわず、同じとしのように話す。そのようすをよこでみていると、いつ教官がおこるかと、ひやひやさせる。本人たちにきくと自分たちもわかっているんだが、つい・・・・ということらしい。それだけ教官が親しみやすいということなのかもしれない。
 青年隊は、なれるといいところだが、なれるまでがたいへんだということのようだ。きついのは最初だけなので、それさえすぎれば後は楽。しかし、だいたい最初の外出で家がいいと、やめていく人がいる。
 あ、青年隊では、テレビなどはもちこめないが、CDプレイヤーなどはいいみたい。ウォークマンは、ききながらブルドーザーなどの実習をうける人がいたので、音がきこえなくてじこをおこすといけにから、もってきてはダメだといわれました。いろいろむずかしいんだなぁと思った。
 もし、これから青年隊に入ってみようと思っている人がいたら、まず何をしにいくのか、というテーマをかかげて、つよいいしでのぞんでみて下さい。教官は最初、わざときついことをいいますが、がまんしてたえてください。「のどもとすぎればあつさわすれる」で、すぐになれればかちです。
 親にいわれて-なんでいう人がいれば、たぶんとちゅうであきらめてしまうかもしれません。しかし、親がすすめるからには、それなりにいいところがあるからです。悪いことばかり見ずに、いいところをさがしてがんばりましょう。
 どうもありがとうございました。

     プロフィール 喜瀬普美頭(きせふみあき)
 ボリビア・サンタクルス市に住む父。普二男(農協職員)と母・洋子(教員)の長男。一九七三年四月生まれでもうじき満二一歳。現地のラス・アメリカス高校を一九九二年十一月に卒業し大木に住む祖父・喜瀬普徳さんを頼って農業研修のため来沖。来沖後、読谷村に「海外移住者子弟研修受入事業」があることを知り、申請。第一期生として採用された。三月の末に開発青年隊を終了し、帰国の予定。ボリビアには弟・普美賢君も勉学に努めている。

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