十月十三日~二十二日までの十日間の日程で第八回「読谷村平和創造展」〔読谷村主催)が村中央公民館ホールで催され、訪れた大勢の人々が平和の尊さを噛み締めた。
第8回目を迎えた平和創造展は、今年は太平洋戦争・沖縄戦終結50周年の年にあたることに鑑み、これまでの「沖縄戦の実相」を伝えるコーナーに加え、本軍の加害の歴史を視点にした特別企画展「南京大虐殺・原画展」(ニューヨーク在住中国人画家が描いた作品十一点-本邦初公開=)に、中国や東南アジア、朝鮮半島への日本軍の侵略の実相を示す「写真・資料展」「皇民化教育と戦前の教科書展」などを多彩に展示した。
今回の特別展は、日本の戦争責任・戦後責任を考え、戦後の五十年で何が清算され、何が清算されなかったかを問い、冷戦後の世界の中で日本のあるべき姿を模索してみたいという意図を以て、企画・展開すると共に、今年の平和創造展は、沖縄戦終結50周年記念事業の一環として、本村が独自に入手した米軍の秘密文書『秘密アメリカ合衆国太平洋艦隊及び太平洋地区軍沖縄群島沖縄群島情報・告示第一六一:四四号(一九四四年十一月十五日付)に対する第二補足情報米太平洋艦隊・太平洋地区軍総司令部告示第53-45号一九四五年二月二十八日付』を翻訳し、「平和の炎・VOL8」と発刊して公開、村内外に大きな反響を呼び起こした。
この秘密文書には、沖縄戦における米軍の上陸作戦や日本軍の陣地や防衛態勢(重火器の配備状況など)の情報がこと細かに記され、米軍が恐ろしいほどの情報収集能力をもっていたことを証明している。また、米軍は「何故読谷村から上陸してきたか』との疑問(翻訳資料の所感及び解説から)には、①読谷飛行場(旧北飛行場)はすぐにも使える程の規模をもっていた。②B29戦略爆撃機用の長い滑走路をもった飛行場(ボーローポイント飛行場)を造るのに適し、前線部隊へ軍需物資を供給する後方支援基地として活用するために米軍にとって本村の西海岸沿いの平野部がほしかった。③沖縄本島攻略作戦(沖縄本島を南北に分断)を謀るため、沖縄本島の中部に位置している本村を上陸地点にした。と分析されている。
なお、この秘密文書の翻訳にあたっては、「シービユー翻訳通訳事務所」の仲村貞雄代表が協力なされ、その翻訳資料は平和創造展の会場で無料配布されました。