読谷村史編集室 読谷村の出来事を調べる、読谷村広報データベース

1996年7月発行 広報よみたん / 30頁

【見出し】相次ぐ事故で抗議大会 村民ら約1000人が結集 米軍演習場撤去を決議

 読谷村で発生した米軍の落下さん降下事故に反発する読谷村は十三日午後五時半から同村座喜味にある旧読谷飛行場東側で「降下事故に対する抗議、演習場撤去要求・村民総決起大会」を開いた。この日は強い北風が吹く中で、約千人の村民が参加、約二時間にわたって抗議行動を展開した。山内徳信村長は「村民の生命と財産を自ら守る以外にない。危険きわまりない演習を中止させ、生活を守り抜く闘いをして行こう」と訴えた。また、村議会、区長、青年、婦人団体の代表らが次々に意見を述べ、演習場のない平和な村づくりを…」と決意、最後に演習所の撤去を要求する決議を全体で採択した。一方、この日、海兵隊では夜間のパラシュート降下訓練を実施する姿勢を最後までみせていたが、強風のため結局、この日の訓練を中止した。
 米軍の事故に対する村民大会は十四年前、小学四年生がパラシュートによるトレーラーの降下訓練で圧死して以来。約千人の住民が参加し、度重なる事故に米軍のズサンな訓練を強く非難した。パラシュートが民間区域に落下したのは今年に入って三回目、過去十三回を数えている。
 「十四年前の悪夢がよみがえった」という山内村長は「一歩誤ると隆子ちゃん事件の二の舞になりかねない。隆子ちゃんは自宅の庭先で遊んでいたが、トレーラーが落ちてくる、と母親に知らせながら死んでしまった。その後も事故は次々と起こっているのが読谷村の現状だ。もはやわれわれの生命と財産は自分たちで守り、演習を中止させていく闘いをしなければならない」と強く訴えた。
 このあと、村民総決起大会の実行委員十五団体の代表らがあいさつに立ったが、新城秀■・村議会議長は「基地を撤去させていかねば被害がなくならない。米軍側は村の申し入れにも会おうとしない」。また比嘉順繁区長会代表は「米軍は目標地点に投下したパラシュートをだれかが持ち去ったといって責任を逃れようとしていることに強い怒りを覚える。いまこそ安心して生活のできる読谷村をつくろう」とあいさつ。
 さらに小・中校を代表した渡慶次小学校の玉城校長は「三十四年間も村民の生命・財産がおびやかされた。もう我慢できない。平和で明るい文化村をつくるためには村民全体が立ち上がらなくてはならない」と激しい口調で訴えた。
 一方、海兵隊側はこの日午後七時半から一時間にわたり空てい訓練を実施するため、MPを含めて隊員ら約十人が飛行場に待機。那覇防衛施設局の職員らも現地に出向き、米軍側と交渉した。海兵隊では当初中止の姿勢をみせなかったが、午後七時ごろ、強風のため中止すると連絡、村民大会が開かれる中を引き揚げた。
 事故に対する抗議、演習場の撤去を要求する決議。
 米軍の降下演習によって村民の生命財産はたえず脅かされ、危険にさらされてきた。今回の事故も一大惨事につながる事故で民家からわずか一三・五㍍の地点に落下したものである。村民の頭上に、民家の上に平然と落としてくる演習を許すわけにはいかない。名軍の落下傘の演習としては不適当な場所であることは■■の一致するところであり、関係米軍でさえ「狭くて適当菜場所とは思われない」明言している。読谷村長は今回の事故のもつ意味の大きさを深刻に受けとめ、村民の総意を結集し、事故に対して慎重に抗議するとともに一切の演習を廃止し、基地を即時撤去するよう強く要求する。

《「投下地点は基地内」パラシュート落下事故 キ司令官、県に回答》
 比嘉県知事は十三日の記者■談で、十二日夜在沖米海兵隊のキリーン司令官に電話で「パラシュート事故の直後でもあり究明を急ぐべきで、十三日の降下訓練は中止してほしい」と申し入れたことを明らかにしたが、この申し入れにたいして米軍側は「あれは米軍施設内に投下したものを県民が持ち出したものであって、事件ではない。したがって事件の究明の必要もない」と突っぱね、きわめて強硬な態度だったという。
 ■■■(判読不可)とりで「しかし、住民感情もある、住民は大会を開いて反対しようとしている」と述べたが、キリーン司令官は「物理的対決はさけなければいけない。必要があれば、私自身が直接指揮をとってもいい」■■べ■たという。
 このようにパラシュート落下事件について、住民側の主張と米軍側の見解が真っ向から対立しており、金武村伊芸での砲弾破片落下事故同様、またもミステリーじみてきた。

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