《読谷補助飛行場区域約3万平方㍍》
【東京】日米合同委員会が二十九日外務省で開かれ、読谷補助飛行場の施設・区域内に読谷村が計画している村庁舎などの建設用地約三万平方㍍を共同使用することが合意了承された。同飛行場施設・区域内には、海邦国体の開催時に、ソフトボール海上としての野球場や運動公園が建設されており、それらに次ぐ共同使用での建設となる。建設工事の着手時期については、米軍、那覇防衛施設局、村当局三者による具体的な調整終了後となる見通し。
一方、同飛行場は、那覇軍港など懸案三事案の一つ。五月十一日の同合同委での合意では、パラシュート降下訓練と滑走路修復訓練がそれぞれ移転完了し、隣接地の楚辺通信所のアンテナが他既存米軍施設・区域へ移設のめどがついた段階で返還するとされていた。今回の共同使用の合意は、返還を見据えた動きともなっている。
同施設・区域内での庁舎建設については、山内徳信読谷村長らが現庁舎の老朽化のほか、村民センター地区としての位置付けから防衛施設庁へ共同使用などによる建設を度々要請していた。
今回の共同使用による土地三万平方㍍は国有地で、庁舎ほか、中央公民館が建設される予定。着工時期は、楚辺通信所の電磁波干渉のからみから、現地米軍などとの技術的、具体的な調整後になるとしている。
また、同施設案件では、民家への雨水対策として、雨水排水路施設用地の共同使用(約一千百二十平方㍍)も了承された。
このほか、合同委では、県が県道宜野湾北中城線を整備拡張するため要請していたキャンプ・バトラー前から村役場方面への約七百五十㍍(約一万五千八百平方㍍)の返還を合意。同部分は、キャンプ瑞慶覧の一部にあたるもので、斜面の削除やフェンス張り替えなどにより、幅十六㍍から三十㍍へ拡幅される。
【読谷】読谷村が米軍読谷補助飛行場内に建設する新役場庁舎の起工式が十六日、同村座喜味の予定地で行われた。飛行場の一部を米軍と村が共同使用するという形での建設。同飛行場でのパラシュート降下訓練の廃止、用地の返還は住民の長年の悲願だった。移設のめどが立たないため、全体の用地返還はまだだが、着工で降下訓練は今後難しくなると見られ、宿題がかなった格好。集まった村内外の関係者約三百人は感慨深げな様子だった。
読谷補助飛行場は約一九〇㌶。うち一・六五㌶が新庁舎の敷地。庁舎の東側に国道58号バイパスが接続する予定で、読谷村では今後の同村の中核地と位置付ける。約二十二億円を投じ、鉄筋コンクリート造り地下一階、地上三階、延べ床面積八八五一・七平方㍍の庁舎を建設する。一九九七年一月末完成予定。
米軍のパラシュート降下訓練は降下ミスが多く、住民が死亡する例もあり、復帰後は村民が返還を強く求めていた。
八四年、村は同飛行場の転用を模索し始め、八七年には飛行場全体の転用計画を策定。九三年には飛行場内での庁舎建設基本計画を立てた。今年六月、日米合同委員会が庁舎用地の一時使用に正式合意した。
同飛行場全体の返還も合意したが、県内への移設が条件であるため、移設先のキャンプハンセン周辺自治体が反対し、めどが立っていない。
この日の起工式では山内徳信村長があいさつ。「戦後五十年にしてやっと正式に役場敷地の選定をみた。村民が心を一つにして頑張った成果だ。県や国、米国の関係者の協力に感謝する」と述べた。
《開設》 読谷村は米軍基地の共同使用という名目で、実質的な返還を勝ち取った。読谷補助飛行場内に村庁舎建設用地三万平方㍍の共同使用を日米合同委員会が二十九日、承認。返還以前に基地跡地利用を着実に進めていく村基地行政の手腕が光る。
読谷村が、村役場の飛行場内建設を国に正式要請したのは一九九三年二月。米軍と軍用地を共同で使用するという形で要求は実現するが、これは実質的な返還を意味する。北部地域の米軍演習場内にあるダムなども共同使用形態の一例で、恒久建造物が建設された後に米側が「あらためて占有したい」と申し出る事態は想定しにくい。
この手法で、村は八七年の海邦国体で補助飛行場内にソフトボール球場を建設した。その時、米軍は隣接する楚辺通信所(通称・象のオリ)に球場夜間照明が及ぼす電波障害を懸念し、共同使用を渋った。
山内徳信村長は飛行場周辺にある既存の夜間照明施設の位置をしるした地図を作成し、交渉相手の米軍将校に渡した。既存の照明が電波障害を起こしていない事実を立証しながら、村長は「これで、軍の上層部を納得させてほしい」と説いた。
パラシュート降下訓練があるたびに村長自ら抗議集会に参加する一方、米軍にも理解を得ながら要求を実現させる硬軟取り交ぜた基地行政を展開している。その手法は今回の村庁舎用地の共同使用合意にもみられるように確実に成果を上げている。(政経部・屋良朝博)